ブック・レビュー(5)


 ハンナ・アーレント 『革命について』
(志水速雄:訳/ちくま学芸文庫)

 君はこの本のレビューにまで俺を引っぱり出して(「つぶやき」の)対話形式でやろうと言うのか? マジかよ、おい。
 もちろんマジさ。俺はこのコーナーではいわゆる「堅い本」というのは取り上げないつもりでいたんだが、どうもこの本はその部類の本みたいだから君が必要になったわけさ。悪いが付き合ってくれ。
 よく言うよ。君はギュスターヴ・ルボンの『群衆心理』や加藤典洋の『ポッカリあいた心の穴を少しずつ埋めてゆくんだ』を取り上げているじゃないか。この二冊は「堅い本」じゃないのか。
 違うね。どっちも加藤典洋の言う「語り口」がユニークで「ポップ」なんだよ。だから「堅い本」とは言えないわけさ。もっと言えばアーレントの「語り口」もルボンや加藤に近いわけで、本当はアーレントのこの本も「堅い本」じゃないんだ。しかしその点については今回は触れないよ。それについては加藤典洋の『敗戦後論』でも見ておいてくれ。

 分かったよ。じゃあ俺の方から訊くが、君はこの本をどういう風に読んだんだ?
 「今月の一枚(5)」「つぶやき(2003/03/07)」でも述べたように、この本が俺の視界に入ったのは、PPMの「ポップ」で「革命的」な音楽がアメリカで大ベストセラーになっていた1963年に出版されたことを知った時だ。実は以前にも読もうと思ったことがあるんだが、PPMが創り出し始めていた「60年代音楽空間」というものがおぼろげながらイメージ出来たと思った瞬間に、この本の目次にあった「創設ー自由の構成」という言葉を突然思い出したんだよ。
 その「創設ー自由の構成」というのはアーレントのこの本の第四章の標題だが、たしかにそれはある開かれた空間のイメージを喚起する言葉ではあるね。
 そうなんだ。しかもPPMの音楽ほど「創設ー自由の構成」という言葉が相応しいものはちょっとほかに考えられないほどなんだよ。だからこの言葉が俺の頭に浮かんだ時、この本がいつ出版されたかを調べたんだよ。そしたらまさにドンピシャリでね。1963年だったんだよ。
 なるほどね。そうするとアーレントのこの本とPPMの音楽とは、なにかあるひとつの「時代精神」を共有しているということになるなのかな?
 そうだろうと思うよ。それをいま論証することは出来ないけどね。俺の想像では米ソの宇宙開発競争やケネディの登場が生み出したなにものかのような気がするが、いまはよく分からない。

 ともかく、PPMが創り出しつつあった「60年代音楽空間」というものを言葉にするに当たって最適の記述がこのアーレントの本にあるはずだという予想を持って読み始めたわけだ。で結論を言えば俺の予想はほぼ当たっていたよ。俺たちが1964年頃に初めてビートルズの音楽に出会った時の言葉にできなかった興奮をこの本は言葉にしてくれているよ。
 アーレントの場合それは「革命」なんだよね?
 そうだ。俺たちがビートルズの音楽にうたれた時の衝撃や興奮というものを言葉にすると、「人間はひとりぼっちじゃない」という天啓のようなものだったと思うんだ。俺はビートルズの音楽の偉大さというのはその点に尽きると思ってるよ。つまりビートルズは「人間が平等に出会う場所がある」ということを音楽で表現していたんだよ。「抱きしめたい」や「シー・ラブズ・ユー」や「プリーズ・プリーズ・ミー」から俺たちが受け取ったメッセ−ジはまさにそういうものだったはずだ。
 たしかにね。しかし君や俺がいくらそれを言っても、いちばん感受性が豊かな13〜14才という年代にリアルタイムでビートルズに出会った俺たちとは違う世代の人には理解できないよ。でアーレントは「それ」をどういう風に言っているんだ?
 アーレントの言うところを以下に少し引用してみよう。

◇「近代的な革命概念は、歴史過程は突然新しくはじまるものであり、以前は全然知られていなかったか、語られることのなかったまったく新しい歴史が展開しようとしているという観念と解きがたく結びついている。」(P.38)
◇「近代の革命を理解するうえで決定的なのは、自由の観念と新しいはじまりの経験とが同時的であるということである。」(同)
◇「(ギリシアの都市国家ではー引用者)平等は、人びとが互いに私人としてではなく市民として会うこの特殊な政治的な領域にのみ存在した」(P.41)
◇「(ギリシアの都市国家では)平等も自由も人間の本性に固有の質とは理解されず、そのいずれも、自然によって与えられ自然に成長するものではなかった。それは・・・約束ごとであり、人工的なものであり、人間の努力の産物であり、人工的世界の属性なのであった。」(P.41)
◇「(ギリシアの都市国家では)自由人の生活は他人の存在を必要としたのである。」(P.42)
◇「自由の内容とは・・・公的関係への参加、あるいは公的領域への加入である。もし革命がただ公民権の保障だけを目的としていたなら、それが目的としていたのは自由ではなく、権力を濫用し、適切に設定された古い諸権利を侵害した政府からの解放だったであろう。」(P.43)
◇「解放のために必要であった活動や行為のおかげで彼らは公的な仕事のなかに投げこまれたが、そこで彼らは意図して、あるいはそれ以上に意図に反して、自由がその魔力を拡げることのできるような空間、すなわち自由が眼に見え、感覚にとらえうるリアリティになるような現われの空間を構成しはじめた。彼らはこのような魔力にまったく不用意であったから、この新しい現象にはっきりと気がつかなかったのは当然だった。」(P.44-45)
◇「自分たちの使命をはるかに超えたことを嬉々として実践していたという・・・明白な事実」(P.45)
◇「「予期せずに呼びだされ、あらかじめその意向なく駆り出され」た人々が「われわれの楽しみをなすものは休息ではなく活動である」ことを発見したのは、このような経験を通してであった。」(同)
◇「革命が前面にもたらしたものは、この自由であることの経験であった。なるほど、これは古代ギリシア・ローマではまったく一般的なものだったから、ヨーロッパ人の歴史では新しい経験とはいえなかったが、ローマ帝国の没落から近代の勃興にいたる数世紀に限っていえば新しい経験だった。」(同)
◇「比較的新しいこの経験、少なくともそれを経験した人にとっては新しいこの経験は、同時に、何か新しい事柄をはじめることができる人間の能力の経験でもあった。この二つのことの一致、すなわち、新しさにたいする人間の能力を新しく経験したということが、アメリカ革命とフランス革命の両方に見られる巨大なパトスの根本をなすものである。」(P.45-46)
◇「このような新しさのパトスが存在し、新しさが自由の観念と結びついているばあいにのみ、革命について語ることができるのである。もちろんこのことは、革命とは成功した暴動以上のものを意味しており、あらゆるクーデタを革命と呼んだり、内乱のなかに革命をかぎつけてはならないということである。」(P.46)
◇「ここ数世紀の革命精神、すなわち自由が住むことのできる新しい家を解放し、そして建てたいという熱望は、それまでの歴史にはなかったことであり、比類のないものである。」(P.47)
◇「革命とは自由の創設のことであり、自由が姿を現わすことのできる空間を保障する政治体の創設のことである」(P.191)


 なるほどね。昔「革命主義」という言い方があったが(いまでもあるのかな? それは「大衆運動主義」や「解党主義」に近い言い方だが)、それを思い出したよ。俺はレーニン主義的な党というものを多少は知っているが、アーレントの言う「革命」はそうした革命党派の言う「革命」とはまったく別のものだね。
 そうだ。しかし本当の革命家は「革命」が本質的にそういうものだということをよく知っているよ。レーニンがそうだし、トロツキーがそうだ。多分ローザ・ルクセンブルクもそうだろう。
 そうだよね。彼らは「パリ・コミューン」(1871)の時、マルクスが驚きとともに喜びをもってそれを熱烈歓迎したことをよく知ってるからね。
 話を戻すと、俺が先にビートルズの音楽について、それを「人間が平等に出会う場所の啓示」と言ったが、実はそれはかなりアーレントの記述にひっぱられた言い方ではあるんだが、しかしアーレントのおかげでビートルズの音楽がもたらした衝撃の「深さ」と「大きさ」というものがやっと理解できた気がしたよ。つまりビートルズの音楽は、13〜14才の俺がそれまで知っていた世界である「家族」を中心とした「自然によって与えられ」た「私的」な世界とはまったく次元の異なる世界があることを教えてくれていたんだよ。
 それは通過儀礼みたいなもとは違うのかな?
 全然違うよ。通過儀礼はアーレントの言う「公的関係への参加」、「公的領域への加入」といったものとはなんの関係もないよ。君の言う通過儀礼というのは、簡単に言えば「大人の世界への加入」の儀式のことだろ。「大人の世界」というのはほとんどの場合「公的領域」とはなんの関係もないよ。「大人の世界」なんかより、俺たちが知っている「学校」の方が少しは「公的領域」に近いよ。

 たしかにビートルズの音楽が俺たちに告げていたものは、アーレントの言う「全然知られていなかったか、語られることのなかったまったく新しい」なにかだったと思うよ。しかもビートルズはそれを「眼に見え、感覚にとらえうるリアリティになるような現われの空間を構成」するような形で示してくれたように思うよ。
 そうだ。そしてもっと重要なことは、PPMやビートルズが「彼らは意図して、あるいはそれ以上に意図に反して、自由がその魔力を拡げることのできるような空間」を構成したということだ。そして当初「彼らはこのような魔力にまったく不用意であったから、この新しい現象にはっきりと気がつかなかった」ということだ。
 それはアーレントがこの本の最後の方で書いている「コミューン」や「ソヴィエト」や「レーテ」(ドイツの革命評議会)の突然の出現ということと関係があることだよね。
 もちろんだ。ここで断っておくと、俺ははじめのところで「PPMとアーレント」という仕方で今回の問いの枠組みを出しておきながら、PPMではなくビートルズばかり持ち出しているが、それは俺たちがリアルタイムでPPMに出会っていなかったからだ。俺がPPMと本当に出会ったのはつい最近のことだからな。それじゃこの本の最後の章から少し引用してみよう。

◇「ジェファーソンの計画とフランスの革命的協会は、いずれも、十九世紀と二十世紀のあらゆる真正の革命に姿をあらわすことになるソヴィエトやレーテのような評議会を、まったく気味がわるいほど正確に予想させるものであった。このような評議会が現われるばあい、それは、きまって人民の自発的機関として生まれ、すべての革命政党の外部に発生するばかりか、党とその指導者のまったく予期に反して姿を現わした。」(P.399)
◇「評議会制がまったく新しい統治形態、つまり、革命そのものの過程で構成され組織された自由の新しい公的空間、をどれほど自分たちの面前に突きつけていたか」(同)
◇「公的幸福を共有することなしにはだれも幸福であるとはいえず、公的権力に参加しそれを共有することなしには、だれも幸福であり自由であるということはできない」(P.407)
◇「彼ら(マルクスとレーニンー引用者)が衝撃をうけたのは、彼ら自身このような出来事(パリ・コミューンと一九〇五年の第一次ロシア革命ー引用者)にたいしてまったく準備ができていなかったためだけでなく、自分たちが直面しているのは、意識的な模倣とか過去のたんなる記憶によっては説明がつかないある反復であるということを知っていたからであった。」(P.409 下線引用者)
◇「その存在を人民自身の組織化への衝動以外の何ものにも依拠しない新しい権力構造が形成されたということ」(P.409)
◇「二十世紀における革命の惨状のうちに葬り去られたのは、まさにこのような国家の変容にたいする希望、すなわち、近代的な平等主義的社会の全構成員が公的問題の「参加者」になることができるような新しい統治形態にたいする希望にほかならなかった。」(P.421)
◇「ハンガリー革命(1956年のー引用者)のとき非常にはっきりとあらわれたように、評議会の出現は国の政治的・経済的生活の再組織、新しい秩序の樹立と結びついているのであって、実際、人民は統治の強制の外に逃れるという無政府的、無法的な「自然的」傾向を示すなどという古い格言を、これ以上鋭く反ぱくする事実はほかにないだろう。」(P.429)


 しかしアーレントは凄い女だね。ほとんどローザ・ルクセンブルクの生まれかわりだね。アーレントは「共和主義(Republicanism)の皮をかぶった革命の預言者」と言っていいだろうね。
 ホントだな。「人民(People)に対する信頼」と「大衆(Mass)に対する嫌悪」というアーレントに見られる対比の鋭さは、彼女が「真正の革命理論家」であることの証しであると言っても過言ではないな。もちろん君の言う「共和主義の皮」はアーレントの神髄であり、そこにおいてマルクス主義と決定的に対立するわけだが。本当はローザ・ルクセンブルクもそうだったんだろうけどな。
 でこれをPPMやビートルズにつなげるとどうなるんだ?
 それは次回にしようか。君には悪いが、君と話してるとどうも「しまり」がなくなるからな。ともかくアーレントの『革命について』に関して言えば、今回引用した部分を熟読すればその神髄がつかめるはずだ。ひとつ付け加えておくと、アーレントの政治思想というものは、ギリシア哲学との格闘のなかに根拠をおいたハイデガー的思考の「政治を思考すること」への応用だということだ。つまりわれわれが日頃疑いを持たずに使っている「自由」や「平等」といった政治的概念を、ヨーロッパの起源にまでさかのぼって洗い直しているわけだよ。つまりアーレントの思考は、歴史のなかでねじ曲げられた「人間の条件」の概念を、いわば「西洋形而上学」としてこれを「解体」して行くという志向をも併せ持っているということだ。その意味でアーレントは「ハイデガーの真正の弟子」と言えるということだ。共和主義について言えば、彼女は「ローザの弟子」なんだろうが。

 ずいぶん簡単にアーレントを理解したもんだね。
 理解したのは『革命について』だけだよ。彼女の主著と言われる『人間の条件(The Human Condition)』(1958)はいま読み始めたところさ。次にPPMやビートルズの「60年代音楽」について言えば、もちろんそれは音楽という「感覚的で幻想的な領域」で起きた出来事であるわけだが、それはアーレントの言う「ある反復」であったろうということだ。なにしろ俺たちは「幸福であること」や「自由であること」や「平等であること」をビートルズから教わったようなもんだからな。しかもビートルズは、われわれがそれまでに知っていた「幸福」や「自由」や「平等」というものは実はニセモノ(まがいもの)だったんだということも教えてくれたわけさ(もちろん「60年代音楽の空間」が消え去ったあとでは、相変わらずわれわれはニセモノしか知らないわけだが)。もちろん彼らはそういうことをほとんど「意識」していないし「理解」もしていない。つまり「意識的な模倣とか過去のたんなる記憶によっては説明がつかないある反復」としてそれはなされたというわけさ。しかも驚くべきことは、それがなされた後ではビートルズも俺たちもそれを「意識」し「理解」していたということだ。それはアーレントの言う「何か新しい事柄をはじめることができる人間の能力の経験でもあった」ということだ。もちろん誰もまだそれを言葉に出来てはいないと思うけどな。なにしろこれは高度に発達した現代の「大衆社会」の成立なくしては起こりえない出来事だったわけだからな。言いかえれば、これは「革命」よりも「新しい」出来事だったわけだからな。

 つまりビートルズは歴史の(とりわけ近代の)なかでねじ曲げられたものではないギリシア的な本物の「幸福」や「自由」や「平等」というものを俺たちに教えてくれたということなのか(もちろんビートルズにそうした「意識」や「理解」はなかったと思うが)?
 そうだ。いやそうではなくてそれは「新しいはじまりの経験」だ、と言っても同じことなんだが、先にも言ったようにそれは人間による「意識的な模倣」というようなものではない「ある反復」の突然の出現によってもたらされたものだ(だから君の質問に対してはいちおう「イエス」だ)。これを「J-POPレビュー(3)」「ブック・レビュー(4)」などで俺が使っている言い方で言うと、「光るもの」(松任谷正隆)に満ちた空間の奇跡的な出現ということだ。もう一度アーレントに倣って言うと、「新しいはじまりの経験」であると同時に本質的に「反復」(再現・再発見)でもあるような、「革命」よりも「新しい」この出来事を言葉にするのは意外に難しい。パリの「5月革命」(1968)や「プラハの春」(同)や日本の「全共闘運動」(主として1968)を含む60年代後半の革命的激動について言えば、依然としてそれは「60年代音楽空間」の「模倣」だろうと俺は思っているよ。それじゃ最後にアーレントの「共和主義」の神髄が述べられてところを引用しておこうか。アーレントの革命的な「権力(Power)」の概念にも要注目だ。ビートルズ解散後のジョン・レノンの歌にある"Power To The People"の意味がこのようなものだったらいいのにな。

◇「個々の活動や行為の過程で人びとのあいだに生まれたこの権力をそこなわないでおくことができたばあい、人びとはすでに、いわば、その活動の結合した権力を住まわせておく安定した世界の建造物を創設し構成する過程にあるといえよう。約束をなし約束を守る人間の能力のなかに、人間の世界建設能力の要素があるのである。」(P.270)
◇「権力とは、人びとが約束をなし約束を守ることによって創設行為のなかで互いに関係し結びあうことのできる、世界の介在的(In-Between)空間にのみ適用される唯一の人間的属性である。そして、それは政治領域では最高の人間的能力とみてさしつかえないだろう。」(同)


【2003/03/15】

◇追記:上の「対話」に関する若干の追加と補足を「管理人のつぶやき(2003/03/17)」にアップしております。併せてチェックしていただければ幸いです(2003/03/20)。

最新ブック・レビュー(4)へ

トップページへ戻る