今月の一枚(2)


   Allison Moorer "Miss Fortune"
(UNIVERSAL SOUTH)

カントリー・レビューなどで書いていることですが、当方がカントリー・ミュージックを聴くようになってからまだ1年にもなりません。従ってアリソン・ムアラーのアルバムを発売とほぼ同時に聴くのはこのアルバムが初めてということになります。なにしろこの人は2年に1枚というゆったりしたペースでアルバムをリリースする人ですから。そして思うのは、これがリアルタイムでゲット出来たアリソン・ムアラーの最初のアルバムで本当に幸せだったということです。確かに2000年発表の前作を聴いて、この人がメアリー・チェイピン・カーペンターと並ぶ超弩級の才能を秘めたアーチスト、シンガーであることは一発で分かりました。しかしそれはまだ発展途上のものであったことが、このアルバムを聴くことではっきりと理解出来た。

それにしてもアリソン・ムアラーは、このアルバムを作る時一体どういう聴き手を想定していたのだろう。このアルバムを聴いて、これこそが最も待ち望まれ、いま時代の趨勢になろうとしている音楽の方向を明確に指し示しているアルバムなんだってことが分かる聴き手が一体どれくらいいるのだろう。こんなことを考えてしまうのは当方の思い上がりなのかもしれない。去年出たMARY CHAPIN CARPENTER "TIME * SEX * LOVE"や今年出たTIFT MERRITT "BRAMBLE ROSE"などをフォローしていれば、アメリカのグラスルーツのレベルにおける音楽や音楽を指針とする無意識の志向をはっきりと聴き取れるはずなのですから。そしてそれはここ日本でもまったく同様であるということについては、当サイトの「J-POPレビュー 02/06/21」「21世紀音楽展望 02/07/27」等を参照していただきたい。しかし内容に触れないでこんなことを言ってもなんのことか分からないか。

というわけで早速このアルバムに入りますが、まず"MISS FORTUNE"というタイトルにおいてアリソンがどれほど自覚的にこのアルバムの制作に関わったかということがはっきりと語られております。直訳的に邦題をつけるすると「宿命の女」とか「運命の女」とかになりそうですが、ジャケット(このジャケットにもアリソンの強い意思が感じられる)の印象からすると「運命の女神」とする方がベターかも。要するにアリソン自身がこのアルバムの音楽を、自身とアメリカと世界の運命であると確信しているらしいことが分かります。実に見事なまでの確信と言えますが、音楽を聴けばそこにいささかの誇張も過信も錯誤もないことが分かるはずです。

上に挙げたMARY CHAPIN CARPENTER "TIME * SEX * LOVE"に触れた時に、それをビートルズの「ホワイト・アルバム」以来の名作であると述べましたが(「カントリー・レビュー 02/05/06」をどうぞ)、同じ言い方をすれば、このアルバムはボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」以来の名作であると言うことが出来そうです。それほどこのアルバムからは1965〜66年のボブ・ディラン(いわゆるフォーク・ロック時代のボブ・ディラン)の影が強く感じられる。文字通りこれは「影」であって、「カントリー・レビュー 02/07/22」で触れたLAURA MINOR "SALESMAN'S GIRL"に見られるような「ストレート」で「ナイーブ」なものではない。どちらかと言うとそこで触れたTIFT MERRITTやHANK WILLIAMS IIIの方向に近い(大きな「運命」や「趨勢」というレベルで言うとどちらも方向は同じなのですが)。もっと積極的な言い方をすると、65〜66年のボブ・ディランを座標軸にしながらここには60年代音楽のエッセンスがぎっしり詰め込まれている、と言ってもいいかもしれない。それも「ダイレクト」でも「ナイーブ」でもない仕方でですが。

まず@から行きますと、メロディーやハーモニーの作りはほとんどプロコル・ハルム。それに70年代の渋めのジョン・レノンを感じさせる。いきなりこれですから、あとは推して知るべしですが、いちおう逐一述べて行きます。Aはプロコル・ハルムと「イエスタデイ」から「ペニー・レイン」に至るポール・マッカートニー。BはPPMのマリー・トラヴァースとデビュー当時(たしか67年)のジャニス・イアン。Cは驚愕のスタックス・サウンド。歌はアレサ・フランクリンと言うよりアーマ・トーマス(いま聴くとアレサよりアーマの方がいいかも)。Dはアル・クーパーたちをバックにした最強ボブ・ディラン。Fは意外に思われるかもしれませんが全盛期のダスティ・スプリングフィールド。Gは一番カントリーっぽい曲ですが、サウンドは65年頃のボブ・ディラン。Gは65〜66年のフォーク・ロック・サウンドをバックにしたカントリー・ゴスペル。Hはポール・マッカートニーがプロデュースしたマリー・トラヴァース(PPM)と言えそう。Iはまたしてもダスティ・スプリングフィールド(あるいはルル?)。Jはプロコル・ハルムがカバーしたボブ・ディランという雰囲気。Kは出ましたローリング・ストーンズ。曲はほとんど「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」。Lはかなり謎めいた曲ですが、影の強い地中海風の音楽と言えそう。ミーナやイヴァ・ザニッキが歌った曲だよと言われても納得してしまいそう。前言と矛盾しそうですが、あるいはアリソンはこの曲の「怒りの葡萄」風の暗さから"MISS FORTUNE"というタイトルを思いついた可能性はある。両義的なタイトルなのかもしれません。

しかしとにかく、以上ざっと述べただけでもこのアルバムの広がりと奥行きの深さは分かっていただけるものと思います。ひょっとすると「これがカントリーのアルバムと言えるのか」という疑問が出るかもしれません。もっともな疑問ですが、やはりこれはジョージ・ストレイトの切り拓いたカントリー・ルネサンスが20年をかけて蓄積して来た「資産」を踏まえた21世紀のカントリー・ミュージックなのだと言わざるをえません。この現代のカントリーの広がりと深さと志の高さがなかったら、当方ここまでカントリーにハマったりはしません。アホなマスコミなどは「アメリカ保守党支持層の右傾化」などという記事を載せたりしておりますが、分かっちゃいないね。「右傾化」がどうした、と言いたい。「守るべきもの」をちゃんと持っているアメリカのグラスルーツの人々を少しは羨ましいと思わないのか、と言いたい。戦争をすることが本当に「運命」であるのなら迷わず武器をとるのが正しい態度ではないのか、と言いたい。こんなことは改めて言うまでもないことなんじゃないかと当方などは思うんですけどね。因みに言っておきますと、いまアメリカで最も元気のいい右翼はミリシアに代表されるような反連邦・反グローバリズム勢力です(炭疽菌をまいたのは彼ら?)。

脱線しましたが、このアルバムはいまのアメリカのグラスルーツの無意識を体現しているという意味でも21世紀カントリー・ミュージックのアルバムであると言えます。上にも述べたようにこうしたアメリカ・グラスルーツの志向と最近の日本のポップ・ミュージック・シーンとは連動しております。60年代においてはそれは新左翼運動と深い関わりを持ちましたが、現代の「ユートピア的共同性」を志向する音楽は少し違ったバック・グラウンドを持っているように思われます。それがなんであるかをいまは明確に言えませんが、日本においてそれはかつて「キレる少年たち」と呼ばれた人たちに代表される現代日本のグラスルーツ=サイレント・マジョリティーがその飢餓感の中で育てて来たものと密接な関わりを持っているはずだと当方などは考えます。恐らくそれは小泉首相の支持基盤とも重なるように思われるわけで、そういったものをバカにしてはいけない。マスコミはやっぱりアホだ。

話がズレまくりで誠に申し訳けありませんが、いまのマスコミや音楽ジャーナリズムのデマゴギー攻撃から自由にならないと、アリソン・ムアラーのこの偉大なアルバムなどはなかなか理解しにくいんじゃないだろうか、ということが言いたかったわけです。現代においては政府などではなくマスコミ・ジャーナリズムこそが「民主主義」を食い物にして巨大化する最大最強の権力と言えそうですから。しかし音楽は時代の無意識を尖鋭に表現するものでもありますから、本当のところは心配には及ばないのかもしれません。余計なことはおいてアリソン・ムアラーの音楽に無心に聴き入るべきなのかもしれません。

さてボブ・ディランやポール・マッカートニーはよく分かるにしても、なんだってプロコル・ハルムなんだろうね。プロコル・ハルムと言えば荒井由実時代のユーミンのアイドルだったイギリスのグループですが(しつこいかもしれませんがユーミンについては「J-POPレビュー 02/05/18」をどうぞ)、あるいはアリソンの場合はティーン・エイジャーだった60年代のジャニス・イアンのいわばモーダルな作風の影響の方が強いのかもしれない。メロディーやハーモニーの美しさをストレートに出さないというやり方のことをTIFT MERRITTの音楽に触れたところで「媒介を作る」という言い方で述べましたが、そう言えば初期のビートルズだってそうだった。ともかくこのメロディーに意識的にモヤをかけるようなアリソンの作風はかなり強烈で忘れがたい印象を残します。

しかしこのアルバムのボーカルが、マリー・トラヴァースからダスティ・スプリングフィールド、更にはアーマ・トーマスを思わせるのはアリソンが自覚的にやっていることだと思う。というのは、いまではこの三人を60年代最強の女性ボーカリストと言っても一向に差しつかえないように思うからです。60年代最強という意味はロックン・ロール誕生以降最強ということにほかなりません。しかし凄いシンガーです、アリソン自身がです。あるいはメアリー・チェイピン・カーペンター、モーラ・オコンネルとあわせて当代女性シンガー御三家と呼んでもいいのかもしれない。ドリー・パートンがここに入らないのは、言うまでもなく彼女はまったく別格の女神だからです。

ともかく、全ジャンルを通じての2002年ベスト・アルバム最有力候補の登場です。しかしそろそろあの恐怖のテキサス三人娘、DIXIE CHICKSの新譜が出そうなので少々あわてて書いたためフォローのない脱線が多くなってしまいました。掘り下げの浅い出来の悪い文章になってしまいました。アリソン・ムアラーの偉大な名作に対しても誠に申し訳けない。お詫びします。

【2002/08/16 KI生】
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