J-POPレビュー(2)


     
MIYA ISHIDA "HIMAWARI" (石田美也『ひまわり』)
(CITYLIGHTS RECORDS)

第一回目の「J-POPレビュー」(前ページ)で述べたように、このページは「ユーミン・コーナー」となるはずだったのですが、あまりにも素晴らしいアルバムがリリースされたため、今回は予定を変更して、これで行きます。また、当初このアルバムを「カントリー・レビュー」で扱う予定だったため、以下の文章は固有名詞の使い方や言いまわしの点で少し読みづらいかもしれません。つまり、これは「J-POPレビュー」で扱うのが相応しいと思い直したものの、書き換えるのがおっくうなので、ほぼそのままの形でこちらに「転用」させていただいたという次第です。ご了承下さい。それに、このアルバムの音楽はユーミンの音楽と多くの点でつながりを持っているはずなので、その点もお含みいただけると、更にさいわいです。

というわけでこのアルバムですが、日本盤なのに帯も日本語も一切なし。さいわい行きつけのお店のカントリー・コーナーの試聴機に入っていてコメントがあったので、ゲットすることが出来ましたが、あやうく買い逃すところだった。いやあアブナイ、アブナイ。このジャケットだけじゃ買えませんもの。もっともこのお顔でダニー・レイ風のカウガール・スタイルだったら即買っちゃいますけどね(笑)。もうちょっと商売っ気が欲しいもんですね。まあそれはともかくとして、当方邦人のカントリー・アルバムを買うのは初めてですが、なかなかレベル高いんですね。インターネットの情報によると美也のお父さんの石田新太郎という人がカントリーのミュージシャンでスティール・ギターやドブロを弾き続けて来たんだそうで、それなら当然とも言えますが、当方日本のカントリー・シーンに全く無知なため、これ以上はこのアルバムのバック・グラウンドには触れられません。

内容に入りますと、まずこのアルバム全体に漂うなんとも言えない「懐かしさ」に一発で魅了されます。「これが本当に現在の2002年のアルバムなのか、本当は1960年代からタイム・スリップして来たんじゃないのか」、と叫びたくなるほど、頭と感性が混乱させられます。ジョージ・ストレイトやランディ・トラヴィスに始まった80年代からこんにちに至る「カントリー・ルネサンス」がそういう(ある意味で懐古的とも言える)面を濃厚にもっていることについては、当サイトの「カントリーは当代最強のキラー・ミュージックである」を参照していただくとしても、このアルバムは更に別の強力なインパクトを持っております。それは、このアルバムが戦後日本における洋楽受容の「初心」が本来持っていたであろうみずみずしさといったものを湛えているということです。

大正〜戦前期日本における洋楽受容が「演歌」を生み出したことについては、「演歌レビュー」をご覧いただきたく存じますが、戦後におけるそれはだいぶ様相の違う展開を見せております。それについて述べることは機会を改めたいと思いますが、簡単に言いますと、当方敗戦直後から1960年頃までの洋楽受容のあり方はいちおうひと括りに出来るように(つまりそれ以前と60年代のそれとの間には断絶があるという風に)思っていたのですが、このアルバムが教えてくれているのは、実はそれは間違いで、1950年代におけるカントリーやロカビリーの受容が1960年代におけるビートルズ受容の地盤を用意していたということです。つまりこのアルバムが湛えている「懐かしさ」というものは、50年代を引きずった60年代的なもののようなのです。言い換えるなら、このアルバムには70年代の香りはほとんどないということです。

もちろん石田美也が70年代に登場したエミルー・ハリスやドリー・パートンたちの歌いまわしを大いに学んだであろうことは、このアルバムを聴けばすぐに分かりますが、このアルバムから聴こえて来る音楽はそういうこととはまた別だということです。しかしそれは、このアルバムが特殊なアルバムだという意味ではなく、それどころか、メアリー・チェイピン・カーペンターやディキシー・チックスやブルックス&ダンやジョン・アンダーソンのいまのカントリーと同列に語ることの出来る音楽が詰まったアルバムだということです。更には、一聴そうは聴こえないかもしれませんが、ここに聴かれる音楽こそ現代のメイン・ストリームだということです。日本の音楽ジャーナリズムは全般的にいかれてますから、そう言っても分かりにくいかもしれませんが。

このアルバムの収録曲は全12曲で、うち9曲がカントリーのスタンダード名曲(と思われる)のカバーです。多少粗削りではあっても、だいたいは成功しております。とりわけウエスタン・スイング系のB(I DO MY CRYING AT NIGHT)とD(ROLY POLY)が素晴らしい。オールド・ファッションドなH(FOOL SUCH AS I)は更に素晴らしい。失敗していると思われる唯一の曲がドリー・パートンの"JOLENE"(I)で、これはアルバムのコンセプトと完全にミス・マッチです。上に述べた「70年代の香りはほとんどない」ということと関わることですが、基本的に70年代音楽というものは「黄金の60年代」への喪失感のようなものが根にあって(アメリカの場合は更にベトナム戦争で負った深い傷があります)、一部の音楽(例えばユーミンの音楽)を除くと「普遍性」を持ちません。そういう音楽はここで言う「懐かしさ」の対象とはなりません。これは(「第三世界」の音楽を別にすると)世界的に言えることで、要するに70年代音楽の多くは「サブ・カルチャー」の音楽だということです。

しかし、このアルバムの本当の素晴らしさは、日本語で歌われるオリジナルの3曲にどどめを刺します(それで「J-POPレビュー」で扱うことにしたわけです)。まず、Fの"RAINBOW OVER YOU"。邦題は付いておりませんが歌詞から《輝く虹になって》としたい。曲想は完全にマリアッチ。ユーミンの《夏の夜の夢》や《輪舞曲》等からある程度予想してはおりましたが、マリアッチが日本語とここまでベスト・フィットしようとは、まさに仰天ものです。歌詞に、「私は輝く/虹になって/見えない明日も/明るく照らす」という一節がありますが、上に「普遍性」などという大仰な言い方をした意味は、こういう陳腐とも思える歌詞が曲とともに飛翔するような音楽だけが、「普遍的」と言われるに値する音楽であるということです。この一曲が入っているだけで、このアルバムを全ジャンルを通じての2002年ベスト・アルバム最有力候補としたいほどです。

しかしこれで終わらないのがこのアルバムの凄いところで、それがJの"HIMAWARI"(邦題はもちろん《ひまわり》で決まり)です。イントロのあまりにも美しいギターのコードが聴こえただけで、それこそ一発でわれわれをあの「黄金の60年代」へと運び去ってくれます。われわれにとって音楽が「必需品」である所以は、そうした「手の届かない遠い場所」(村上春樹)へとわれわれを瞬時に運んでくれるとても不思議なはたらきや作用にあります。歌詞がまた無類に秀逸で、「会えない時間が/終わりの気配をつげてた」と始まります。陳腐ですか? 確かに音楽が無かったらそう言えるかもしれません。しかしこういう日本の流行歌の定型のような歌詞が、その中で本当に生きて飛翔する音楽というものが時々奇蹟のように生まれることがあって、それがこの《ひまわり》であるわけです。これには本当に驚きます。石田美也という人はソング・ライターとしても天才なんじゃないだろうか。因みに《ひまわり》の曲想は、ワイルド・ワンズ、サベージ、森山良子、フォークル、シューベルツといった60年代フォーク&フォーク・ロック系アーチストたちの最も美しい音楽を想起させます。

最後の日本語の歌がKの"LOVE SONG"(これの邦題を歌詞からとると《あなたに出会えて》かな)ですが、これはFの《輝く虹になって》やHの《ひまわり》とは違って、どこか初期のユーミンを思わせます。『ひこうき雲』(1973)あたりに入っていてもほとんど違和感がなさそうです。もちろんいい曲ではあります。しかし当方熱烈なユーミン・ファンではあるのですが、荒井由実時代のユーミンの音楽には、米英のロックやシンガー・ソング・ライターの音楽と同質の「黄金の60年代」への喪失感が感じられて、あまり好きになれません。ユーミンは松任谷由実になって初めて、その類いまれな創造力を一気に爆発させるわけですが、それについてはここでは触れません。ともかく《あなたに出会えて》について言えば、そういう曲だということです。

つまりこのアルバムは、《輝く虹になって》と《ひまわり》という、ずば抜けて偉大な2曲に尽きるとも言えます。前者が1950年代の日本の洋楽系歌謡曲に巨大な影響を与えた、カントリー、スイング・ジャズ、ラテン、ハワイアンといった音楽要素を懐古的感性でまとめ上げた名曲であるとすると、後者は60年代音楽に特有の「若者共同性」的表現のエッセンスをいまの感性ですくい上げた、まさに絵に描いたような名曲と言えます。こういう音楽が現実に作られて、アルバムとして出されたということ自体に驚かざるをえません。しかしながら、90年代以降の日本社会のアノミー(無連帯)的状況の底にこうした「ユートピア的共同性」への志向があったことに気付かなかった人はやっぱり迂闊だったんだと思いますよ。しかし、現実にこういう「ユートピア的共同性」への志向をストレートに表現した音楽を聴かされると、やっぱりたじろいでしまいます。

アメリカのカントリー・ミュージックが、既にこのアルバムと同レベルの作品を続々と送り出していることについては、上記「カントリーは当代最強のキラー・ミュージックである」を(そしてその続編の「カントリー・レビュー(2)」「カントリー・レビュー(3)」「今月の一枚(02/08/16)を、ついでに「21世紀音楽展望」もご参照を)、またユーミンが21世紀開幕宣言を近いうちに音楽として表明するに違いないことについては、前ページの「ユーミンはJ-POP最強の女神である」を、それぞれ参照していただきたいと思います。しかし、このアルバムがそれらと並ぶ21世紀初頭の日本を飾るに相応しい偉大なアルバムであるという事実はもちろん消えません。但し、ここでひとつつけ加えておかなくてはならないのは、《輝く虹になって》、《ひまわり》ともに、歌い込みとアレンジの両面において充分に練り上げられた決定版とはなっていないということです。とび抜けた「素材」をそのまんまレコード化してしまったという印象はぬぐえません。ここはひとつユーミン音楽の「裏方」をつとめて来られた松任谷正隆氏のお出ましをお願いしたいところですが、いかがなものでしょうか・・・。

それではまた。

【2002/06/21 JPR生】
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