管理人のつぶやき(6)


2003/10/08 (対話-37) 新民主党や最近の急速な円高のことなど 

 少し前の話だが、民主党が消費税率引き上げを公約に盛るかどうかが話題になってたじゃないか。
 そうだったな。小泉は自分の首相在任中の消費税率の引き上げはないと言っているから、党利党略という観点からすれば、民主党はいいところに目をつけたとも言えるのかもしれない。しかし「政権担当能力を印象づけるため」に消費税率引き上げを公約に盛るなどというのは最悪だな(結局は盛らなかったが)。
 そういう国民生活を人質にとって党勢の拡大を図るというような発想はいったいどこから出て来ているんだ? やつらがそれを言うことで国民の消費性向が下がり、日本のGDPがどの程度押し下げられる(従って税収も減る)ことになるか、分かって言っているのか? そういう汚いことが許されていいのか?
 それが汚いこと(あるいは亡国的なふるまい。ついでに言えば戦前の民政党と政友会の政争も恐ろしく亡国的だった。浜口雄幸を倒したのは鳩山一郎と犬養毅による「統帥権干犯」キャンペーンだからな)であるというような認識は、マスコミにも政治家にも有権者にもほとんど見当たらないみたいだよ。なにしろデフレと不況を克服して日本経済を再生させること、そして雇用を拡大させて名実ともにGDPを大きくすることこそが当面する最大の政治課題であるはずなのに、それをやらずに年金制度改革だの財政改革などに手をつけたら財源自体が縮小再生産におちいってしまって、そうした改革自体が成り立たなくなる可能性が高い、ということがまったく理解されていないみたいだからな。要するに、政策の優先順位や手順といった政治のイロハを評価する基準がないんだよ。「選挙とは政策を選択するもの」というようなことがよく言われるが、それが本質的な誤まりを含んでいることは、いま言った例でも明らかなわけで、その政策が何故必要なのか、そしてその政策(あるいは政策パッケージ)がなにをもたらすか、を説明する能力を持っているかどうかが問題なんだよ。だから俺に言わせれば民主党は失格だよ。ガキの選挙じゃないんだからね。

 小沢一郎が経世会の仲間と自民党を脱党したあと、君は「小沢応援団」みたいな立場をとっていたじゃないか。そしてそれが小渕内閣時代の自自連立断固支持として現われていたように思うわけだが、小沢が民主党に「加入戦術」をとることにしてから、民主党はますますおかしなことになっているんじゃないのか(元々おかしかったということもあるんだろうが)。それとも今回の消費税の件は小沢とは関係がないのか?
 多分関係があるだろうな。恐らく細川内閣の時の「国民福祉税構想」と同じ発想だろう。ひょっとすると小沢は「大蔵(財務)族」なのかもしれない。いずれにせよ、結局のところ小沢一郎も中曽根康弘や竹中平蔵とほとんど変わらない新自由主義(=「マーガレット・サッチャー」)の徒でしかなかったということなのかもしれないな。しかしもしそうだとすると、日本の保守のなかに中曽根⇒小沢⇒竹中というような(いわばアメリカの共和党やイギリスの保守党に該当するような)流れがあって、それがいまの小泉政治とそのカウンター・パートでしかない民主党につながっているという風に考えるべきなんだろうか?
 君は小泉のファン(いったいなにを根拠にして小泉のファンをやっているんだ?)だから、あまり考えたくないことなのかもしれないが、大きく言えばそういうことなんだろうと思うよ。
 次回の衆院選では恐らく自民党に投票することになるんだろうが、そろそろ俺も根本的に考え直さなきゃならないのかもしれないな。
 あたり前だよ。しかし、いまごろになってそんなことを言い出すとはね。マスコミや世論のことをあれこれ批判する前に、君のそのニヒリズムの方が問題だと言いたいよ。

 そうかもな。ところで、ここまでの話に関連すると思われることを『JMM』の常連ライターである冷泉彰彦が「日米の政局、その中心にあるもの」(『from911/USAレポート』第112回/『JMM』2003年10月4日号)に書いていたんで、それについて話をしてみようと思うんだが、いいかな?
 もちろん。基本的に俺は「聞き役」なんだから。しかしその冷泉彰彦という人はアメリカによる「対イラク戦」絶対反対という立場の人だろう?
 多分そうだろう。俺はコリン・パウエルのファンというような(?)立場から「対イラク戦」に賛成だったから、実はこれまではよく読んでいなかったんだよ。だから何故それに反対なのか、その根拠をまったく理解していないんだ。しかし、今回の文章はそういうことを抜きにしても充分に面白かったよ。
 へえ、いったいなにが面白かったんだ?
 まず冷泉彰彦は、「経済(財政)」という論点を「対テロ戦争」へと振り向けることでごまかして来た共和党政府と、カリフォルニア州知事選における泥仕合(シュワ候補に対する民主党(?)の「暴露戦術」)を紹介した上で、それが日本の政治と選挙に重なると見る。つまり「本来の論点である「経済(財政)」の対立軸設定と利害調整がうまく行かないために、「軍事外交」と「キャラクター」が前面に出た形での政局になっている」ということだ。では、どうして社会の利害調整機能を政治が失ったのかというと、「社会の中核を支える賃金労働者の利害を守る「思想」や「団体」が消滅して」おり、「一人一人が自身の利害得失を見極めて、投票行動や社会参加によって自身の利害を守る仕組みが「徹底的に壊されている」」からなんだそうだ。
 それは「対話-24」(03/06/14)「対話-28」(03/08/01)で君が言っていたのと重なる話だよね。

 冷泉彰彦はまた、「政治の理念がなく、失業者救済や新産業育成といった将来へ向けての問題解決がない」という点で日米共通と見ている。冷泉彰彦は問題点をしぼり込んで行くというより、問題点を列挙して行くというような書き方をしているから、なにが言いたいのか分かりにくいところがあるんだが、「社会の中核を支える賃金労働者の利害を守る「思想」や「団体」が消滅している」ということを言っているのは注目に値する。何故そいうことになったのかということについて、冷泉彰彦はこれから考えを進めて行くのかもしれないが、これを俺たちの関心に引き寄せると、日本では何故「労働者(階級)」という勢力が消滅してしまったのかというテーマになるだろう。もちろんいまでも個々の「労働者」は存在しているわけだが、それらはもはや政治的な存在(勢力)ではありえず、それぞれが社会的・経済的な機能の担い手でしかない。
 それこそ「対話-24」で君が言っていたことじゃないか。中曽根内閣時代の政府が、「一億総中流化」によって最大多数派となった日本のパパたちママたちとつるんでやったことじゃないか。
 そうだな。象徴的な言い方をすれば、中曽根康弘が手をつけたことを仕上げようとして登場して来たのが小沢一郎だったと俺は思うわけだが、ある意味でそれは「不可避の流れ」だったわけだ。つまり小沢としてはバラバラになった「労働者(階級)」を、今度は「日本国民」へと組織しようとしたと思うんだが、それはほとんど成功しなかった(そもそもそういう指向とはまったく逆のベクトルを持つ新自由主義=新古典派経済学では成功すべくもない。「失われた10年」の起源は多分ここにある。それが生み出せたのはせいぜい「新しい歴史教科書を作る会」ぐらいのものだ)。それどころか、そこから生まれたものこそ「改革」という言葉が「妖怪」のようにひとり歩きをはじめて、結局は「日本国民」の利益が見失われて行ったいまの日本だったわけだ。だから冷泉彰彦が言っていることも理解できる。しかし「賃金労働者の利害を守る「思想」や「団体」」は、マルクス主義あるいはその「改良版」と言うべきニュー・ディール主義が現実性を持ちうるところにしか存在しえないだろう。

 だから問題はやっぱり「大衆社会」そのものにあるわけだよ。つまり「大衆社会」では冷泉彰彦が言う意味での「政治の利害調整機能」自体が成立しえないわけだよ。何故なら、いまや「利害」は「階級」にではなく「個」にしか関わらなくなっているからだよ。いまもし「階級」というものがあるとすれば、「官僚機構」と経団連等の「経済団体」、そしてそれらの利益を代表する政治家たちだけなんじゃないのか。つまり支配階級だよ。つまり支配階級だけはいちおう存在しえているが、被(非)支配階級の方は、いまやバラバラの「個」でしかないということだよ。それから君は中曽根内閣時代の新自由主義政策ばかりを言うが、日本の戦闘的労働運動が敗退したのは1961年の三井三池闘争の敗北によってなのであって、1980年代の中曽根政府がやったことは、既に戦闘力を持ちえなくなっていた形骸化した労働組合の最終的解体だったんじゃないのか。
 たしかにその通りだよ。しかし三井三池闘争の敗北(それはこの時期に行なわれた「エネルギー革命」の裏面でもあった)とともに、60年代の高度経済成長がはじまったわけだ。そしてこの高度成長を支えたのは「日本国民」だったわけだよ。しかも、この場合の日本国民は同時に労働組合員でもあったわけでね。つまり池田内閣の「所得倍増政策」を「現実化」させたのは、この労働組合員でもあった日本国民だったわけだ。60年代において戦後のニュー・ディール主義に現実性をもたらしたのが、そういう日本国民であったということを忘れてはいけない。60年代の高度成長を支えたのは、技術革新や生産性の飛躍的向上といったサプライ・サイドの要因だけでなく、毎年春闘を組織して労働組合が所得の再分配機能を持ちえたことで、消費性向を高める役割を果たしたこと。つまりそこでディマンド・サイド政策が極めて適切に行なわれたのは、依然として労働組合が力を持っていたからなんでね。吉川洋などによると60年代を通じてのGDP成長に対する輸出の寄与度というのは微々たるものだったそうだから、企業の設備投資を力強く牽引したのは間違いなく個人消費だったわけだよ。

 なるほど。そうすると君は中曽根が日本のそういう成長構造を壊したと言っているのかな?
 中曽根政府とそれを支えた当時の「大衆化」した日本国民が、だよ。俺は70年代から80年代を通じて一種の「労働者敵視」みたいな気分が日本にあったんじゃないかと思う。埼玉県の上尾で暴動で起きたのは73年だよね、たしか。あれは「通勤の足を奪う春闘」に対する怒りと憎しみが爆発したものだが、当時俺はルンペン・プロレタリアートだったから(もちろん、いまでもそうなんだが^-^)、それはよーっく理解できたよ。いずれにしても、60年代の成長構造はその時点でもう壊れていたわけだよ。
 しかし、「労働者敵視」だけは残ったと?
 いや、60年代的な「目標」の消失が「労働者」でもあった日本国民をバラバラの「個」にしてしまったということだ。「個」として豊かになったということだよ。更に、それにともなって「保守化」と「自閉」と「エゴイズム」が急速に進んだということだよ。つまり「労働者」自身が「サラリーマン」や「ビジネスマン」や「OL」へと「出世」してしまったということだよ。こうして80年頃に日本の「大衆(消費)社会」が完成をみたわけだが、それが「労働者敵視」を露出させたということだよ。いずれにせよ、この「労働者敵視」は現在の「雇用」に対する全般的な無関心にも通じていると思う。いまの道路公団民営化にせよ郵政民営化にせよ、それらの政策が「雇用」を奪うものであるということ、そしてそれが消費性向を収縮させてGDPを縮小させる当のものであるということは薄々理解されているはずなんだ(なにしろGDPの拡大と成長の究極のエンジンは「雇用」が生み出す「労働」以外のなにものでもないのだから。その意味で言うと、最大の真正「サプライ・サイダー」は実はカール・マルクスだったのかもしれない)。しかし、そんなことよりも「税金の無駄づかいをなくせ」とか「役人の天下り先をなくしてしまえ」といった主張や論調に、当然と言わんばかりに同調してしまう気分の方がずっと強いんだよ。こういう前提が理解されないと、石原伸晃を国土交通大臣にしたり、竹中大臣を留任させたりといった小泉内閣の行き方や、それと同じ土俵で「小泉内閣の改革はまやかしだ」というような民主党の言い方や、それを当然のこととして報道するマスコミの姿勢も理解できないんじゃないのか?
 つまり馬鹿なのは日本の愚民たちだと?
 と言うより、「失われた10年」のなかでそれぞれ(国民、マスコミ、与党、野党)がネガティブな気分を増幅し合い、足の引っぱり合いをやって来たことの結果なんじゃないのかな。そう言えば最近「バカ」がタイトルに付く本(『バカの壁』等々)がやたらに多いだろ? あれもいまの気分にぴったりだからなんだろうと思うよ。

 君の言うことは分からないではないが、ではどうすればいいんだ?
 そんなのはいつも言っていることで、まずデフレ克服に向けて政策を総動員することだよ。もちろんそれは亀井静香が言うような「緊縮財政から積極財政へ」ということではないよ。日銀とのアコードのないところでそれをやったら、金利が急上昇して株価下落の引きがねになってしまうことは「対話-31」(00/09/05)でも言った通りだ(当ページのいちばん下↓)。だからそこでも言ったように、中心になるのは「非伝統的」「非正統的」な金融政策の発動だよ。このところ急速に円高が進んでいるもんだから、政府・日銀は必死になって円売り介入をやっているが、それだって「非伝統的」「非正統的」な金融政策とのパッケージング(「非不胎化」等)がないかぎり、そこに何10兆円投入したって効かないよ。円の価値を下げて円安に導くいちばんいい手はインフレにすることだからね。だから、まずは年3%ぐらいの「インフレ目標」を設定して期限を決めて実行することだよ(目標が達成されるまでは、ジョセフ・スティグリッツも言うように消費税率を3%に引き下げるのがいいだろう)。
 それで円高を止めることはできるかもしれないね。しかし、インフレにすればもちろんデフレは克服されるわけだが、それで不況を克服することができるんだろうか?
 多分できるよ。少なくともそれで実質金利が下がるから融資を受けやすくなるし、デフレ期待が消滅することで「カネを使わない動機」が消えてしまうわけだから。つまりインフレは確実に手持ちのカネの価値を下げる作用をするから、「カネを使う」あるいは「モノを買う」動機が生まれることになるわけだから。同じことだが、物価も上がって行くから「あとで買う」より「いま買う」方が良い、ということにもなるわけでね。
 そうだとしても、それで君の言う「労働者敵視」みたいな気分を払拭できるのかな?
 不況の克服は確実に「雇用」の拡大をともなうし、しかも企業収益は増えてインフレ基調になるわけだから、収入の増加も期待できるようになるわけだよ。そうなれば、少なくともさっき言ったような憎悪と敵意の増幅や足の引っぱり合いを繰り返す条件はずっと弱まるよ。要するに、政府・日銀は伊藤元重たちのアドバイスをしっかり聞いて「インフレ目標政策」を直ちに採用すべし、ということだよ。そうすれば税収も増えるし、インフレで政府債務も圧縮されて、ほっといても「財政改革」は自動的に始まるよ。要するに、馬鹿じゃあるまいし「改革、改革」と叫ぶ前にやるべきことをしっかりやれ、ということだよ(小泉の言う「改革」というのは経世会つぶしという側面が強いみたいだから、そうであるかぎりこれは小泉批判ではないよ。ただ、竹中大臣だけは直ちに更迭して欲しい。投票前に更迭したら票をとりまとめてやってもいい。藤井総裁なんかほっとけよ^-^)。

 今日は「10.8」36周年でもあったわけだから、その話も聞きたかったよ。
 それは次回にでもやろうか。最近小野田襄二の『革命的左翼という擬制 1958〜1975』(白順社)という本を読んだから、ネタもいろいろあるし。それに「カール・マルクスとハンナ・アーレント」というテーマをからめて話ができればいいと思ってるよ。
 そりゃ楽しみだね。


2003/09/29 (対話-36) 初期ビートルズとレニ・リーフェンシュタールのことなど 

 前回の対話で、後期のビートルズとビートルズ解散後のジョン・レノンとポール・マッカートニーについて触れたが、そろそろビートルズにおける「新しい始まり」というものを見て行く必要があるんじゃないのか。それがほとんど語られていないから、前回までの「60年代音楽の運命」についての話がいまひとつ説得力を欠くということにもなっているんじゃないのか?
 たしかにそうかもしれない。だいたい俺(と君)は前回ジョン・レノンとその音楽にかなり批判的に言及しているが、俺がビートルズ・ファンになったきっかけになった曲というのは、「涙の乗車券」のB面に入っていたジョン・レノンの「イエス・イット・イズ」(1965)だったわけで、言うまでもなく65/66年という時点ではポールとともにジョンも俺(たち)のアイドルだったわけだからね。
 あの「イエス・イット・イズ」は画期的な曲だったよね。それまでの「うるさい音楽をやるビートルズ」、「騒音をまき散らすビートルズ」というイメージはあの曲によって一変したようなところさえあったからね。俺自身も「ビートルズの音楽はガチャガチャギャーギャーとうるさい」と感じていたくちだったわけだが(^-^)、あの曲によってビートルズの音楽を見直すことを余儀なくされたもんね。「イエス・イット・イズ」こそ静謐さというものを音楽で表現した最初のポピュラー音楽作品と言うべきなんじゃないのか?
 そういう印象はたしかにあるよね。いま聴いても、音楽が始まった途端に空気中のすべての騒音成分がいっせいにかき消えるような感じがあるからね。あれこそまさに君が言うように、静けさというものがビートルズによって初めて音楽として言い表わされた最初の作品と言えるのかもしれない。いま言った「最初の作品」ということは、ビートルズの初期の音楽すべてに言えるんじゃないかと思うよ。つまり、初期のビートルズというのは、「死すべきもの」としての人間およびその世界の経験が、そこで初めて書きとめられ表現へともたらされたような音楽の泉でもあったろうということだ。

 初期ビートルズについては、リアルタイムでいろんな証言が残っているが、ここで俺の方から代表的なものをふたつほど紹介しておくよ。「ある日 ・・・ 車のラジオから「抱きしめたい」が流れてきました。ビートルズをはじめて聴いたのもその時です。ああ、すばらしかったわ! 何という不思議な音楽でしょう。わたしは居ても立ってもいられない気持でした。こんなに私を感動させた音楽はありませんでした。」(ハンター・デヴィス『増補版ビートルズ』草思社 P.181) 「コンサートで私はビートルズを目の前で見たの。実を言うと私は自分で叫ばないことにきめていたの。で叫びはしなかったんだけど、涙がこぼれたわ。彼らには何かがあったのよ。・・・ 私にもよくわからない、でも何か大事なことに対する答えだったと思うの。」(『全米TOPヒッツ研究読本/60年代ロック&ポップスのすべて』学陽書房 P.10) 君がビートルズは「死すべき」人間とその世界の経験を書きとめ表現へともたらしたと言っているのと、これらのアメリカやイギリスの少女たちの証言とは関係があるよね?
 もちろん大ありだよ。いま君が引用した少女(俺たちより年上だったかもしれないが)の言う「何か大事なことに対する答え」というのが何を指しているかは明白と言うべきで、それこそ「人間はひとりぼっちじゃない」という啓示(「ブック・レビュー(5)」等参照)、あるいは、「死すべきもの」としての人間こそが「新しい始まり」という奇蹟をなしうるというメッセージをビートルズが体現しているのを見た、または聴いたということだよ。彼女はまた「涙がこぼれた」とも言っているが、それは「現実との和解」というカタルシスが、ビートルズを通じて実現されたことの現われと言うべきだろう。もうひとりの少女は「何という不思議な音楽でしょう」と言っているが、それはありうべき彼女の経験がビートルズの「不思議な音楽」として表現されているのを発見したということだろう。それで彼女は「居ても立ってもいられない気持」になってしまったわけだ。
 君はいま体現と言ったり表現と言ったりしたが、それらは違うことなのかな?
 "Appear"と"Express"とでは意味が違から、言っている事柄も違うはずだよ。それは君が引用したふたりの少女が言ってる事柄の違いに対応してるということだよ。これは意外に重要なことで、ビートルズにおける「現われ」と「表現」をふたつの異なる次元として見て行くことは、これからのテーマになるのかもしれない。実は今回は「表現」の方に少し触れてみたかったんだけどな・・・。

 まったく話は変わるが、先日(9月8日)101才で死んだレニ・リーフェンシュタールの『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』という映画を観たんで、それについて少し話をさせてくれよ。
 ああ、あのナチスの宣伝映画と言われた『民族の祭典』の女流監督が撮った海の映画だね。そう言えば最近いろいろなところで話題になっていたよね。で、どうだった?
 いや面白かったよ。映画の長さは45分ぐらいで、そのなかにモルジブ、セイシェル等の水中名所で撮影された実に色彩豊かな珍しい海中生物や海中・海底の映像が次から次へと登場するわけだが、シンセによるBGMもよく出来ていて、ほとんど飽きなかったよ(気持が良すぎて一度だけ眠りそうになったが)。しかし考えてみたら飽きないのにはわけがあって、時々海中に潜っているリーフェンシュタール自身の姿が登場するんだよ。はじめはその意図が分からなかったんだが、『ワンダー・アンダー・ウォーター』のあとに『アフリカへの想い』というリーフェンシュタールを撮った記録映画(監督は別人)を観て、やっとそれが分かったよ。ウェット・スーツ姿のリーフェンシュタールにはどうやらブリュンヒルデが投影されているらしいんだな。
 ブリュンヒルデって、あのワーグナーの『ワルキューレ』のブリュンヒルデか?
 そうだ。はじめ老女の自分を映してどういうつもりなんだろうと思ったもんだが、ダイビング・スーツ姿の彼女が登場する映像だけは異様に印象に残るんだよ。要するに、圧倒的に存在感があってかっこいいんだよ。『アフリカへの想い』には、彼女が1970年代に撮ったスーダンのヌバ族の写真がいくつも出て来るんだが、それらの写真が放つ強烈な「力」と同じものが、ダイビング・スーツ姿のリーフェンシュタール自身の映像にもあるんだよ。リーフェンシュタールはヌバ族の人々を「英雄」あるいは「戦乙女(いくさおとめ)」として見ていると俺には思えた。つまり、そこに彼女は彼女にとっての「第三帝国」の原風景を見たということだろう。それで、ああ、あそこには戦乙女ブリュンヒルデの姿が投影されているんだなってことに思い当ったということだ。リーフェンシュタールは女優出身だから、被写体としての自分自身を熟知していたはずだし。
 なるほどね。そうすると『ワンダー・アンダー・ウォーター』も、『意志の勝利』や『民族の祭典』と同じファシストの映画ということになるのかな?
 そう言って構わないと思うよ(『意志の勝利』と『民族の祭典』はまだ観ていないが)。但し、俺としては「ファシストの映画」という君の言い方を最高級の誉め言葉として受け取った上で、そう言いたいわけだ。『ワンダー・アンダー・ウォーター』の映像は、『神々のたそがれ』(ワーグナー)のあとのラインの河底か大西洋の海底の光景のようでもあるし、リーフェンシュタールはそれをもって彼女自身の「第三帝国」にきっぱりと幕をおろしたということなのかもしれない。あるいはそれは、「神々」と「第三帝国」に捧げられたモニュメントであると考えるべきなのか? 多分それは同じことなんだろうが、いずれにせよ、これが100才になろうとする老人のやることかね・・・。恐ろしいよね、天才は。(尚、ここで触れた2本の映画を観たのは9月27日シネセゾン渋谷。)


2003/09/23 (対話-35) ジョン・レノンとポール・マッカートニーをめぐって

 かなり強引な感じがしたけど、「新しい始まり」としての「60年代音楽」が、66/67年に至って必然性としての「外」のオートマティックな物質力(「鉄のタガ」)と化して60年代を運命的な終末へと導いていった、という前回の話は面白かったよ。しかし君はそれを「比喩」として語っているわけではないよね。
 「比喩」なんかじゃないよ。それこそ現実に生起したことなんであって、世界同時的な「68年革命」が何故起きたのかということについて、いろいろな人がいろいろな仕方で語っていたが、それはほかならぬビートルズの登場がもたらした政治的・社会的な衝撃と激動の帰結である、ということについてはだいたい意見が一致しているんじゃないのか? 俺としてはその機制(メカニズム)を語ったまでだよ。そういうことを俺(と君)が語ったような仕方では誰も語ったことがなかった、ということはあるのかもしれないが。
 多分誰も語ったことがないよ。だいたい君の言い方だと、「68年革命」は主体的なものでも革命的なものでもなかったということになってしまうわけだから。言い換えれば、それは「自由」な行為ではなかったという結論になってしまうわけだから。それどころか、君は「鉄のタガ」というようなハンナ・アーレントの言葉を使って、明らかに彼女の全体主義論を踏まえながらそれを語っているわけだから。
 そうだね。しかし、アーレントの全体主義論はひとつの革命論として読むこともできるんじゃないのか。だいたいアーレントは全体主義の先駆的形態としての大陸帝国主義(汎ゲルマン主義や汎スラブ主義)を「革命的」と形容しているじゃないか。そういった汎民族主義と、「ブラック・イズ・ビューティフル」というスローガンをともなったブラック・パワーとは極めて近似的であったとも言えるんじゃないか? アーレントの60年代論である『暴力について』を俺は全部を読んではいないんだが、彼女が「68年革命」にそういう傾向を認めていたことは間違いないと思う。つまりそれは革命的でありながら、同時に反革命的な出来事でもあったということだ。
 それが反革命的なのは、それがほとんどどこでも暴力のレトリックをともなっていたからだろう? つまり、その運動自体が「自由」や「幸福」をともなわない運命的で暴力的で一枚岩的な性格を持っていたが故に、「言論」や「複数性」が尊重されることなく、ひたすら「主権」が主張されたということだろう?

 そういうことだ。ジョン・レノンが68年のヒット曲「レボリューション」で言おうとしていたのも、明らかにその非妥協的な「主権」の主張(押し付け)に異議を唱えることであったはずだ。もちろん、ジョン・レノンのこの抗議は嘲笑と憫笑しか呼び起こさなかったわけだが。とは言え、丸山真男やアドルノのように確信犯として「68年革命」つぶしに動いたわけではなかったから、それほどひどい反発を招くこともなかったということなんじゃないのか? 当時ジョンは小野洋子と一緒に「ベッド・イン」をやってたしね。あれもおおかたの嘲笑をもって迎えられたが、いま考えてみると、ジョンはあの「68年革命」が内包していた反革命に、勇気をもって立ち向かった稀有の人物として再評価する必要があるのかもしれないな。
 そうかもしれないね。もっともそのジョンにしたところでビートルズが解散してソロ(あるいは小野洋子と共同の)活動を始めてからは、手のひらを返したように「パワー・トゥ・ザ・ピープル」(71)などというような「主権」を主張する歌を歌うようになるからね。ジョンは「レボリューション」が引き起こした嘲笑と憫笑に耐えられなかったということなのかもしれないね。
 そうなんだろうな。それにしてもジョンは「パワー・トゥ・ザ・ピープル」みたいな歌を歌うべきではなかったよ(「人々に勇気を」という邦題も最低だな)。あれによってロックがポピュラー・ミュージックの中心にヘゲモニーを確立したようなところもあったし・・・。しかしブラック・パンサーもウェザーマン派(白人主体の新左翼革命派)もほとんどつぶれてしまったあとであんな歌を歌うなんてな・・・。あの段階で間抜けな左翼や日和見ロック・ファンを喜ばせたってまったく意味がないわけだし。

 ジョン・レノンはボブ・ディランに似たところがあって、相当にわかりにくいヤツだよ。情緒不安定なマザコン男みたいなところもあったみたいだし。だから「俺たちのビートルズ」の牽引車はやっぱりポール・マッカートニーだったんじゃないのか? ビートルズ解散後に、ポールは「ギブ・アイルランド・バック・トゥ・アイリッシュ」(72)という、政治的メッセージを前面に押し出した恐らくは唯一の歌を発表しているが、これはいかにもポール的なビートルズ解散後の最高傑作のひとつと言えるんじゃないか(「アイルランドに平和を」という邦題は最悪だが)? それはイギリス政府の暴政に対するアイリッシュとしての正当な異議申し立てと言うべきだし、しかもジョンの「パワー・トゥ・ザ・ピープル」とは違って、「主権」の要求というニュアンスはほとんどないからね。
 ポールはイノセンスという言葉がそのまま人間の姿で出現したようなヤツだからね。この前日本に来た時だって、日本のファンや取材陣に向かって「オーッス」とかやっているのをテレビで見たが、60才にもなってああいう挨拶がサマになるのはポールぐらいのもんだよ。俺は65年のはじめ頃、ポールのあの中性的で天使とも見紛うばかりの声と顔を知った瞬間にポールのファンになったわけだが、それはやはりポールが「新しい始まり」というものを体現していることを直感的に理解したからだと思う。しかし、そのポールも60年代も末になると「ヘイ・ジュード」や「レット・イット・ビー」というような実に退屈でおよそポールらしくない音楽を書いた時期もあったが(それらが大ヒットしたという事実ほど「60年代音楽」の変質と終末を物語っている事実もないわけだが)、それも「ギブ・アイルランド・バック・トゥ・アイリッシュ」によって本来のポールに戻ったと言えるんじゃないか? もちろんビートルズを離れたポールが、「新しい始まり」という「奇蹟」を起こすことは二度となかったわけだが。

 話を戻すと、君はさっき前回の話を「比喩」ではないと言ったが、「60年代音楽」が必然的でオートマティックな物質力を生み出したという話はどこか説得力を欠くと思わないか?
 たしかに分かりにくい話かもしれないね。自分が言ってることに自信がなくなることがないわけでもないし。しかしこれは自然過程の話ではなく、人間が造る歴史過程の話なんだからね。しかも、そこには少なくともふたつの革命概念が分かち難く絡み合っていたという事情もあるからね。
 そこのところがうまく整理されていないということがあると思うよ。
 君も「主権」などという言葉を突然持ち出すからな。これについてはアーレントの言葉を引いておこう。「人間の条件は、一人ではなく複数の人間が地上に生きているという事実によって規定されており、この条件のもとでは、自由と主権はまったく異質であり、同時に存在することさえできない。・・・ 人びとが自由であろうとするなら、まさにこの主権こそが放棄されなければならないのである。」(『過去と未来のあいだ』未来社 P.223)
 次は、君の言うふたつの革命概念の問題だね。
 それこそまさに上のアーレントの引用で言われていることで、ベトナム反戦運動と学生反乱、そして公民権運動と黒人蜂起に始まった「68年革命」は、「自由」が「主権」に乗っ取られたところで終ったということだよ。しかし、それを「自由」の起点としてのビートルズやシュープリームスの「60年代音楽」から説得的に語るには、最低限ヘーゲルの『歴史哲学』あたりを踏まえる必要がありそうだな。あと、「主権」と暴力が「自由」を約束するような革命(これが通常の革命概念であるわけだが)についても検討を加える必要があるね(アーレントは「主権」の発動たる暴力は「自由」の死にほかならないと言うだろうが)。これが語られていないから、当時の俺たちのロック批判とアレサ・フランクリン支持の根拠が分かりにくいという事情もありそうだし。ただ、そうした反革命の契機も含めて黒人蜂起と学生反乱の「68年革命」こそが60年代後半のメイン・カルチャーなのであって、「ラブ・アンド・ピース」と「フラワー・パワー」のロックの方はそれに対する「反動形成」であった、ということは今回も最後に付け加えておこう。


2003/09/19 (対話-34) 「1968/69年論序説」

 前回は「ペニー・レイン」についての君の話は聞けなかったが、全体としては、これまでになかったまったく新しい「60年代音楽論」や「ビートルズ論」に向けた出発点がいちおう確保できたみたいだね。
 そうだな。だから「ペニー・レイン」についての話はまた別の機会に譲ることにして、今回は「1968/69年論」をやっておいた方がよさそうだな。もちろん、まだやっていなかった「1963/64年論」か「1961/62年論」に戻ってもいいわけだが。ここでついでに「60年代初期・前期論」のポイントに触れておくと、それはこのサイトでは主題的にはほとんど触れたことがなかった初期のフォーク・シンガー=ライター時代のボブ・ディランの歌が中心的なテーマになるんじゃないかという気がするよ。
 へえ、それはまたどういうわけなんだ。
 やっぱり「風に吹かれて」や「時代は変る」に代表される初期ボブ・ディランの歌の新しさは、それまでのロックンロール的な感性やティンパンアレイ風の紋切り型とは決定的に次元が違うということだよ。PPMがこれらの曲を歌って大ヒットさせたことをビートルズは知っていたかもしれないわけだし。知らなかったんだとしたら、それこそ「新しい始まり」(ハンナ・アーレント)の世界同時的生起がそこに認められるということになるわけだよ。これは7月23日の「対話-27」で言ったことを撤回することでもあるわけなんだが。
 なるほどね。ボブ・ディランというのはとんでもなく分かりにくいヤツなんだが、時代を画した偉大なミュージシャンのひとりであったことはたしかだろうからね。あの「対話-27」では俺もつい君に同調してしまったが・・・。ひとつ質問なんだが、君は前回の話の最後でビートルズは『ラバー・ソウル』や「ペイパーバック・ライター」とともに終ったと言っていたが、しかしそうであるとしても、『リボルバー』以降のビートルズだってビートルズには違いないわけで、従って「ハロー・グッドバイ」や「レディ・マドンナ」も「60年代音楽」のひとつのあり方であることには間違いないわけだろう?
 もちろんだよ。「60年代音楽」の最も偉大な達成が、63年から65年頃にかけてのビートルズやPPMやボブ・デイランの音楽に見られることは間違いない。しかし、それを模倣したり、メタ・レベルで再演したり、「音楽の外」を導入したりすることでそれを再生させようとした形跡は、66年から68年頃にかけての音楽の中にはっきりと認められるから。だから「新しい始まり」の「精神」や「思想」は66年頃にほぼ消え去ってしまったとはいえ、形骸化したあり方ではあっても、68年頃まではそれはまだ存在しえていたわけだよ。松任谷正隆が言っていた「光るもの」(「J-POPレビュー(3)」参照)というのは、その全体を指しているんだろうが。

 そうなんだろうね。しかし恐らく松任谷正隆などは60年代音楽に対する稀に見る「目利き」と言うべきで、日本では特に「ロック至上主義」「ロック中心主義」みたいな一種のイデオロギーがあって、60年代音楽にアプローチして行く場合でもそれを疑うべからざる前提にしてしまっている傾向が強いよね。
 そうだ。だから「1968/69年論」をやっておく必要があるわけさ。何故かと言うと、この時期に大々的に「音楽の外」が導入されたことで、あたかもその「外」のひとつが60年代音楽の核心であるかのような誤認を生み出す要因にもなっているからだ。例えば、モンタレー・ポップ・フェスティバル(67/6)の予想を超えた「大成功」によって、「ラブ・アンド・ピース」や「フラワー・パワー」といった気分や風潮やイデオロギーとしての「外」が大々的に導入され、そうしたイベントで注目を集めたジミ・ヘンドリックスやザ・フーやジャニス・ジョプリンが一躍時代の寵児になった、というようなことだよ。ジェファーソン・エアプレイン(「あなただけを」)やドアーズ(「ハートに火をつけて」)やクリーム(「ホワイト・ルーム」)やヴァニラ・ファッジ(「キープ・ミー・ハンギング・オン」)等が、そうした「外」を取り入れたヒット曲を送り出したのもこの時期だし。
 そうだったね。しかし当時俺はモンタレー・ポップ・フェスティバルのことはよく知らなかったし、そういった事情はビートルズが歌う「愛こそはすべて」の衛星生中継(これも俺は観ていない)というイベントをめぐるいろんな情報を通じて知ってはいたが、俺としては当時の「サマー・オブ・ラブ」(1967)みたいな風潮には違和感しか感じていなかったように記憶しているが、君はどうだった?
 君と同じさ。67年から68年にかけてのこの時期は、同時にアレサ・フランクリンが登場して鮮烈なヒット曲(「貴方だけを愛して」、「リスペクト」、「ナチュラル・ウーマン」、「チェイン・オブ・フールズ」等々)を続々と送り出していた時期でもあったわけで、俺はそれらを黒人蜂起の「長く暑い夏」が音楽として姿を現わしたものと思っていたからね。君もそうだったろうと思うんだが、『リボルバー』で「ビートルズと60年代音楽の終焉」を確認した俺としては、「音楽の外」の中でも本当に「面白いもの」「ワクワクするもの」にしか関心が向かなかったからね。それは何かと言うと、サム&デイブ(「ホールド・オン」)、ジェームズ&ボビー・ピュリファイ(「恋のあやつり人形」)、オーティス・レディング(「ドック・オブ・ベイ」)といったリズム&ブルース、とりわけアレサ・フランクリンのあの「爆発」そのものであるような歌であったわけだ。あれは「ブラック・パワー」そのものでもあったわけだから。
 ヒューイ・ニュートンたちのブラック・パンサー党が登場したのもその頃だったよね(1966年)。「俺たちのビートルズ」が終わったこの時期は、君も書いていたように(「今月の一枚(4)」)、シュープリームスとホランド=ドジャー=ホランドが自分たちの60年代音楽に幕を引いた(終焉を宣言した)時期と、はからずも(?)重なっていたわけだ。このシュープリームス・チームの自己=歴史認識には、「歌を歌う時代は終った。これからは武器を取る。」というような気分に裏打ちされていた部分がたしかにあったろうと思うんだ。

 まさに「音楽の外」の暴力的で弁証法的な侵入だな。その「外」を創り出したのがほかならぬ60年代音楽であったにしても、もう後戻りのできない地点に来たという認識は、60年代音楽とともにあったわれわれの共通認識でもあったはずだよ。
 そうだね。当時マルコムXやチェ・ゲバラを歌ったヒット曲が生まれなかったのは、レコード会社やメディアの自己規制によるものだったのかもしれないが、「造反有理」(毛沢東)から世界革命に突進して行くような当時の気分は、「ラブ・アンド・ピース」や「フラワー・パワー」などを遥かに凌いでいたはずだ。しかしこの内的規制や抑圧が、アレサ・フランクリンの歌にいっそう巨大なパワーを与えたという面があったということは言えるんじゃないか。この、シュープリームスによる60年代音楽の「内」からアレサ・フランクリンによるその「外」へという弁証法的な展開は、君としても面白いテーマになるんじゃないのか?
 まあね。しかし1970年当時相倉久人や平岡正明はどうしてそういうテーマで本を書かなかったんだろう? 少なくとも俺たちにとってはそれはあまりにも自明の展開、もっと言えば「必然性の鉄のタガ」(ハンナ・アーレント)のようにさえ見えたものだが・・・。とは言っても、70年頃になるともう黒人革命の敗北と退潮は誰の目にもはっきりしていたということはあるけどね。
 それに関連することだが、68年という年はたしかメキシコ・オリンピックの年だったよね。あの大会ではアメリカ黒人のメダリストたちが、アメリカ国歌が流れているあいだ表彰台の上でコブシを突き上げていたじゃないか。あの映像をテレビで観た時、俺は即座に「異議なし」と思ったもんだが、あの頃になるとアメリカ黒人がああいったアピールをするのは極めて自然なことで、それをしないことの方がむしろ不自然なことのように思えたもんだよ。そういう意味で言うと、「自由」な行為と思われたものが、実は「必然性の鉄のタガ」によって強要されていたという側面もありそうだな。
 それはそうさ。60年代後半に至って俺たちの文脈における「外」、つまり「政治」や「社会」という領域において「新しい始まり」が生起したように見えたにしても、それは63年から65年頃にかけて「60年代音楽」が体現した「新しい始まり」の消失の結果でもあったわけだからね。それを鼓舞し起動せしめていた「内的のもの」が失われて行くなかでの、「内的のもの」自体の延命措置としての「外」の導入だったわけなんだから。従って「新しい始まり」にともなう「自由」が失われて「外的な過程」に支配されていったのはむしろ当然なわけだよ。当時俺たちも共有していた「もう後戻りのできない地点に来た」という共通感覚が、運命的で暴力的な気分をともなっていたのは、こうした60年代の弁証法それ自体に由来しているわけだよ。
 そうだよね。『サージャント・ペパーズ』の頃からのビートルズのあのキテレツな服装も、暴力の代替物としか言いようのないものだったからね。ジョン・レノンのあのかっこ悪いと言うよりほとんど不気味な眼鏡とかね。そういう意味では、流石にビートルズだけはまだ終っていなかった、とも言えそうだね。

 いずれにせよ、「ラブ・アンド・ピース」や「サマー・オブ・ラブ」といった気分やイデオロギーとともにあった60年代後半のロックが60年代音楽の核心であるとするような認識は根本的に間違っている。第一に、それ自体が60年代音楽がみずからの延命のために導入した「外」にほかならないことへの認識が欠けていること。第二に、60年代後半期における歴史必然的とも言うべき「外」が、当事者たちに運命的で暴力的な「行動」や「決起」として理解されていたことへの認識を欠いていること。あるいは、そうした事実から逃亡していること。これは純音楽的な次元においても、60年代後期におけるメイン・ストリームはアレサ・フランクリンたちのブラック・ミュージックなのであって、クリームやレッド・ツェッペリンのロックではなかったということだ。白人たちがこの事実に「疎外感」を感じていたにしても、少なくともビートルズだけはその音楽と服装等において正確な時代認識を持っていたわけだから。こうしたビートルズの志向を『リボルバー』(まさに先駆的なタイトルと言うべきだ)や『サージャント・ペパーズ』の音楽から見て行くのはこれからのテーマになるだろう。第三に、結局のところそれが60年代音楽そのものに向けたアプローチを誤まらせているということ。これらすべてにおいて、その後の「ロック中心主義」や「ロック至上主義」は歴史からの逃亡と言うべきだろう。
 しかし、なんだってそうした「ロック・イデオロギー」が力を持ちえたんだ?
 結局、「リズム&ブルースの死」(ネルソン・ジョージ)といったもの、そして黒人革命の敗退によっているんだろうな。その空白をロックが埋めたということなんだろう。いずれにせよ、黒人革命から世界革命に向かって突撃して行くような行動的な気分が当時のメイン・カルチャーであったとすれば、「ラブ・アンド・ピース」や「サマー・オブ・ラブ」のロックの方はカウンター・カルチャーかサブ・カルチャーでしかなかったということだ。しかも、そこで掲げられた「愛(ラブ)」の空虚さはどうだ。そこには、「新しい始まり」とそれにともなう「自由」が音楽として出現したあの「シー・ラブズ・ユー」や「アール・マイ・ラビング」の「愛」の残影さえないよ。ここまで「愛」が形骸化してしまったところに「俺たちのビートルズ」はもう存在しようがないよね。だから67年にビートルズが衛星生中継で「愛こそはすべて」を歌った時点では、ビートルズ自身はもとより、もう誰もがそんなものを信じてはいなかったはずなんだ。60年代後期のロックをめぐるこうした状況は、やはり押えておく必要があるだろう。

 なるほどね。今回はかなり乱暴であまりダイナミックとは言えない「60年代後期論」になったような気がするが、最後に君の「60年代前期論」のアウトラインを聞いておこうか。
 始めにも言ったように、多分フォーク・シンガー時代のボブ・ディランの「風に吹かれて」や「時代は変る」が主に取り上げられることになるだろう。しかし、俺としては60年代音楽はやっぱりパーシー・フェイス楽団の「夏の日の恋」(60)から始めたいね。あれはいつ聴いても名曲だと思うし、9週間にわたって全米No.1の座にあったというのは60年代を通じての最長記録なんじゃないか。それに「夏の日の恋」ほど「新しい始まり」を予感させる曲はほかにちょっと思いつかないほどだよ。君はそうは思わないか?
 君の言う通りだよ。あれは68年にNo.1ヒットになったポール・モーリアの「恋はみずいろ」なんか足許にも及ばない歴史的な名曲だよ。
 「夏の日の恋」の次は、62年まで飛んでフォー・シーズンスの「シェリー」かな。「恋はヤセがまん」(62)も「恋のハリキリ・ボーイ」(63)もビートルズ登場以前の最もビートルズ的なヒット曲と言えるかもしれない。その次がPPMだろう。PPMの最初のヒット曲は62年の「天使のハンマー」で、これはピート・シーガーの曲だ。同時期にキングストン・トリオの「花はどこへ行った」がヒットしているが、これもピート・シーガー作品だよ。ケネディの登場とともに「自由」と「公的領域」が一気に拡大して行った感があるね。それからあとは、ビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」(63)、レスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」(同)、PPMの「風に吹かれて」(同)、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(同)という具合に名曲が続いて、いよいよビートルズ登場の64年を迎えるわけだ。このなかではレスリー・ゴーアに注目したいね。プロデュースがクインシー・ジョーンズで、彼の60年代音楽への貢献を見直してみたいね。あと、当時は知らなかったんだが、ジャーニーメンというスコット・マッケンジーとママス&パパスのジョン・フィリップスが参加していたフォークの3人組がこの時期に素晴らしい音楽を創っていたよ。「60年代前期論」のアウトラインはこんなところかな。

 「60年代後期論」では、日本のグループ・サウンズに触れることができれば、もっとダイナミックで決定論的でない話ができたような気がするけど、その点はちょっと残念だったんじゃないか?
 60年代後半というのは「暗い時代」(ハンナ・アーレント)の始まりだったんだから、話が非アーレント的なものになってしまったのもやむをえないことだったとは思うが、グループ・サウンズをめぐるあの反時代的で多少ヤケクソ気味のエネルギーは、改めて見直してみる必要があるかもしれないね。それでも、結局は日本でも相良直美の「いいじゃないの幸せならば」(69)で60年代が幕をおろすことに変わりはないわけだが。しかし、その相良直美や、弘田三枝子の「人形の家」や、新谷のり子の「フランシーヌの場合」や、千賀かほるの「真夜中のギター」や、奥村チヨの「恋の奴隷」や、ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」や、ピーターの「夜と朝のあいだに」で60年代が完結したという日本の場合のユニークさは特筆に値するね。タイトルと曲想と歌が「出来すぎ」「はまりすぎ」という感じがしないではないが、やっぱりこれは改めて語ってみる価値がありそうだな。日本に比べてアメリカやイギリスの場合の60年代の終りはかなり悲惨な印象が強いからね。君なんか直感的にこの「末路」が見えていたみたいで(と言うより、やっぱり音楽自体がつまらなくなったからなんだろうが)、心情的には黒人蜂起の方に強い共感を持ちながら、68年頃にはもっぱらテレビで日本のGSを観て喜んでいたよね。


2003/09/15 (対話-33) 「1966/67年論序説」

 前回は君が語る「1965年論序説」を聞いたわけだが、今回はその続きをやるかい?
 そうだな。続きということなると、次は「1966年論序説」になりそうだが、60年代音楽へのアプローチの道筋は前回の話でいちおう出揃っていると思うけどね。しかしそうは言っても「1966年論」をやっておかないと俺の「ビートルズ論」の広がりも見えて来ないだろうから、ざっとやっておこうか。
 続きは「1966年論」とはかぎらないのであって、「1965年論」の「本論」でもいいんだぜ。
 分かってるよ。しかしその「本論」というのは当然「60年代音楽論」になるのであって、そこへ進むための前段階、あるいは準備として「1966年論」が必要になるということだよ。
 なるほど。で、君のその「1966年論」のポイントというのはいったい何なんだ?
 そう急かすなよ。しかしあらかじめ言っておくと、1966年という年はビートルズの来日という、日本のポップス文化にとって決定的に重要なイベントのあった年であったことは間違いない。ではそのビートルズ来日という事件が1966年という時代の端的な現われであったのかと言えば、それは違う。それよりも、65年10月にビートルズ(ポール・マッカートニー)の「イエスタデイ」がヒットしたのに続いて、アルバム『ラバー・ソウル』に収録されたポール・マッカートニーの「ミッシェル」とジョン・レノンの「ガール」が、66年に日本のラジオで「超」が付くほどヘヴィー・ローテーションになったことの方がずっと大きい。
 1966年はサイモン&ガーファンクルやママス&パパスが登場した年でもあったよね。ローリング・ストーンズは彼らの最高傑作アルバム『アフターマス』を出したし、ビーチ・ボーイズはそれまでの彼らの音楽とは明らかに異質の『ペット・サウンズ』を出すし(俺自身は当時このアルバムのことを知らなかったが)、ボブ・ディランはポピュラー音楽史上の金字塔と言われることになる『ブロンド・オン・ブロンド』を発表したよね。66年の後半に入ると、モンキーズが登場して「恋の終列車」を大ヒットさせたりもしていたが。
 そうだったね。で、そうした一連の出来事が告げていることはそもそも何であるのかと言うと、それは1964〜65年に出現したまったく新しい真に60年代的な「精神」や「思想」を、改めて音楽(と言葉)として表現しこれを定着させようという志向であったわけだ。だから1966年には特に新しい「精神」や「思想」が生まれているわけではない。もっとはっきり言えば、60年代音楽はこの時期に自分自身を模倣しはじめたわけだ。ビートルズやビーチ・ボーイズに至ってはこれを「解体」して行こうという志向さえ見せているが。『ラバー・ソウル』が発表されたのは実は1965年の12月なのであって(日本では66年3月発売)、ビートルズにとっての1966年はほかならぬ『リボルバー』の年だったわけだからね。

 そうなんだよな。俺なんか脳天気にサークル(Cyrcle)の「レッド・ラバー・ボール」だのサベージの「いつまでもいつまでも」なんかを口ずさんでいたもんだが、高校時代最初の楽しい夏休みが終ったと思ったら、待っていたのは『リボルバー』のあのシタールの響きだもんな。あれは衝撃だったね。
 ボブ・ディランはオートバイ事故で怪我をしたというのを口実にして新曲を出さなくなるしな。
 まったくだよ。どこまでも光り輝いていたと思われた1966年は、夏休みが終った途端にわかに雲行きが怪しくなってしまったような気がしたもんだよ。
 つまり、ビートルズやビーチ・ボーイズやボブ・ディランに代表される60年代音楽の先端部分においては、実は自己を模倣することさえもう終っていたということなんじゃないのか。だから1966年の核心を把握するには、やはりこの時期のビートルズの代表曲を理解することがいちばんの近道なわけだよ。ではその曲はなにかと言えば、66年暮から制作に入り67年2月に発表されたビートルズの両A面シングル「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に尽きるだろうと思うわけだ。つまりこれを理解することが「1966年論序説」の第1のテーマになるだろう。第2は、まったく新しいあの真に60年代的な「精神」と「思想」はどこへ行ったのか、というテーマだ。それに「ペニー・レイン」は67年にヒットした曲でもあり、更に67年のビートルズのアルバム『サージャント・ペパーズ』は間違いなく『リボルバー』の延長上の作品でもあるわけだから、「1966年論」は同時に「1966/67年論」ということになるだろう。
 なるほど。しかし君もそうだったろうと思うんだが、65年から66年にかけての「イエスタデイ」、「ミッシェル」、「ガール」、「ひとりぼっちのあいつ」といったビートルズの最高級の名曲に出会うことで俺たちは本当にビートルズ・ファンになったわけだよね。ところが、そのすぐあと(66年10月)に『リボルバー』が出たことで、「ビートルズは変わってしまった」ということを一種の恐怖感(同時にそこには解放感もあったと思うが)とともに理解しないわけには行かなかったわけだ。俺たちの場合この『リボルバー』ショックがあったから、その1年後の「10.8」(三派全学連による67年10月8日の羽田闘争)を「来るべきものが来たぜ」という風に受け止めることができたと思うんだ。つまり俺が言いたいのは、ビートルズにせよビーチ・ボーイズにせよ、「60年代音楽はもう終った」という認識が働いていたはずだということだよ。そしてそのことは、60年代音楽を「音楽の外」へと開いて行こうという志向をともなっていたんじゃないかと思うわけだ。この60年代音楽自身による「音楽の外」への志向がはっきりと現われたのが、1966年という年の核心にある出来事なんじゃないのか、ということだよ。
 つまり、「10.8」を先駆とする「68年革命」は60年代音楽の模倣なのではなく、60年代音楽自身が持っていた「論理」の帰結なのではないのか、ということだよね。うん、たしかにそういうことは言えるだろうな。そもそも60年代音楽の新しい「精神」や「思想」といったものが「音楽の外」と無関係にあったのかと言うと、そんなことはありえないのであって、モーツァルトの『フィガロの結婚』や『魔笛』がフランス革命の「精神」をあらかじめ体現し、ベートーヴェンの多くの音楽がフランス革命の「成果」とナポレオンを担っていたのと同じことだろう。

 言い換えれば、60年代音楽は最初から「はじまり」としての「革命」を内包していたということだろう?
 そういう面があることは「今月の一枚(5)」等でも述べていることだが、それがどういったような機制で60年代音楽のまったく新しい「精神」や「思想」というあり方で出現したのかを理解する、ということこそが「60年代音楽論」の中心テーマになるわけだから、まず明らかにされなければならないのは、そうした「精神」や「思想」が何であったのか、ということだよ。ビートルズに即して言えば、それを「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」、「イエスタデイ」、「ミッシェル」、「ガール」、「ペニー・レイン」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」等々から理解して行くということだ。
 そういうことだよね。当時のことをもう少し言っておくと、ビートルズとビーチ・ボーイズが66年という時点で60年代音楽をいわばメタ・レベルで再演する(つまり「音楽の外」を導入する)という方向に進んだのに対して、ローリング・ストーンズやボブ・ディランの場合はそれを横目で見ながらも、「音楽の外」へ出て行こうとはしていないよね。ところで1966年を通じて俺が大好きだった曲にキンクスの「サニー・アフタヌーン」というのがあるんだが、この曲は退屈極まりない当時のイギリス社会がみずから音楽として姿を現わしたような曲だったと思うわけだ。キンクスはザ・フーに先駆けてロック・オペラというジャンルを創り出すわけだが、「サニー・アフタヌーン」の「音楽の外」へとごく自然に通じているような音楽の中に、そうした志向がはっきりと見て取れるわけだよ。君が66年の核心に触れる曲として「ペニー・レイン」と「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」を挙げているのは、このキンクスの行き方と重なるところがあるんだろう?
 もちろんだ。60年代音楽に「回想」が導入されたのは「イエスタデイ」によってだったと思うし、そこに「社会」が導入されたのはボブ・ディランの「雨の日の女」によってだったかもしれないわけだが(バリー・マクガイアーの「明日なき世界」とバリー・サドラー軍曹の「悲しき戦場」では「ベトナム戦争」が導入され、バーズの「霧の8マイル」では「ドラッグ」が導入された)、いずれにしても60年代音楽の自己模倣ということは同時に「音楽の外」の導入をともなっていたわけだ。66年を通じてのロックンロールの「復活」(「19回目の神経衰弱」、「グッド・ラビン」、「96つぶの涙」等々)やリズム&ブル−スの隆盛(「男が女を愛する時」、「マンズ・マンズ・ワールド」、「ダンス天国」等々)といった出来事も、この時期のそうした音楽的志向と関係があるはずだ。こういったことは60年代音楽に「成熟」をもたらしたわけだが、同時にそれは、その「精神」や「思想」の原初の輝きの消失によってもいたわけだ。と言うか、原初の輝きなどがそれ自体でいつまでももつわけはないのであって、それが生き延びるためにも「外」を必要としたということなのかもしれない。あるいは、その原初の「精神」や「思想」自体がみずから姿を現わすためにこそ、まずはPPM(ピーター・ポール&マリー)やビートルズの音楽という「外」を必要としたということだったのかもしれないが。

 なるほど。「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(ヘーゲル)ということだね。つまり、60年代音楽の自己展開の論理と機制それ自体が極めてヘーゲル的で弁証法的だったということなのかもしれないが・・・。さて、君はビートルズの「ペニー・レイン」と「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を1966/67年の核心が端的に集約された曲だと言うが、アルバム『リボルバー』と同時つまり66年8月に「イエロー・サブマリン」と「エリナー・リグビー」がカップリングされたシングルが出ているよね。「イエロー・サブマリン」を初めて聴いた時、俺は愕然として「何なのだこれは」と思わないではいられなかったが、君はどうだった?
 君と同じだよ。俺たちはラジオの新曲紹介でビートルズの「イエロー・サブマリン」と「エリナー・リグビー」を同時に聴いていると思うんだ。だから「イエロー・サブマリン」に思いっきりズッコケながら、ポールが歌う「イエスタデイ」の延長として聴けるような「エリナー・リグビー」に救われているんだよ。しかし、いずれにしてもこの時の愕然とした思いを言葉にできていないその後のビートルズ論は、どこかで自分に嘘をついているんじゃないかという感じがして仕方がないよ(中山康樹の場合は、あまりにも唐突な「黄色い潜水艦」の出現という言い方でその時の衝撃を語っているようだが)。
 そうだよね。俺は66年の秋に『リボルバー』を聴いた途端、あのシタールの響きに恐慌をきたして「ビートルズは終った」と思った(叫びもした)し、どこまでも続いているように思われた66年夏のあの「永遠の輝き」と見えたものはもう二度とはないんだ、ということに思い至らないわけには行かなかったわけなんだが、しかしよく考えてみると、俺たちはあの夏のあいだに「イエロー・サブマリン」を聴いていたんだよね。
 そうだ。ポールやジョンは「イエロー・サブマリン」を「童謡」と呼んだそうだが、あれは誰からも愛されたリンゴによって歌われたことで、いわば「許された」わけだ。しかしこの曲における「SE」の導入には仰天したね。現にこの曲の制作にはドノヴァンやブライアン・ジョーンズが関わっているそうだし。いずれにせよ、この曲によって「俺たちのビートルズ」が終ったことは間違いない。そしてこの曲を書いたのがジョンではなく、この時期「俺たちのビートルズ」を体現していたポールであったという事実が、ビートルズの「誠実さ」を証してもいるよ。
 しかし、問題はむしろ同じポールの「エリナー・リグビー」の方なんだろう?
 その通りだ。この曲によって、前年の「イエスタデイ」によって導入されたのは「回想」だけではなく、「弦楽合奏」という「外」でもあったという事実に直面させられたわけだ。そして今回の「エリナー・リグビー」が導入したものとなると「イギリス社会」そのもの、そしてそこに生きる「孤独な人々(Lonely People)」だからな。ここでポールがやろうとしていることは、ビートルズそのものの捉え返しなんだろうけどね。つまり、ビートルズ自身が生き延びるためにも「イギリス社会」、あるいは自分たちが生まれ育った街である「リヴァプール」という「外」(媒介項)がどうしても必要であると判断されたんだろう。
 それが究極の形で表現されたのが67年の「ペニー・レイン」だということだね?
 その通りだ。しかしそれについて語るのは次回にしよう。もうかなり長くなってしまったし、今回は「1966/67論序説・その1」ということでいいだろう。

 ひとつ言い忘れたことがあるんだが、PPMの音楽の場合はキューバ革命やケネディの登場や公民権運動の高揚といったものが「音楽の外」の足場になっているらしいということはすぐに分かるんだが、ビートルズの場合そういう意味での足場というのは何なんだ? と言うのは、ビートルズの場合にはそういうものは見い出し難いし、それにそれまでのアメリカやイギリスの音楽にさえ足場を持っていないよね。もちろん、例えばリトル・リチャードやエヴァリー・ブラザースの音楽に足場を持っていると言えば言えるんだろうが、しかしそれは俺たちがビートルズの音楽から受けた衝撃や啓示の中心にあるものとは関係がないよね。
 それが分かれば苦労はないさ。だいたいそれを言い当てている人物や本に出会ったためしは君はないだろうし、俺もない。ひとつ言えるだろうことは、多分そこには「音楽の外」の足場というものはなかっただろう、ということだ。言い換えれば、ビートルズの音楽の核心にあるものは、アーレントの言う「新しい始まり」だったろうということだ。しかしそうであるとしても、改めてそれを語るのは容易ではないわけだが・・・。ともかく、65年末に発表された『ラバー・ソウル』には君の言う衝撃や啓示の光やきらめきが強く認められるが、『リボルバー』以降はもう見られ(聴かれ)ない。見られ(聴かれ)るのは、消え去った「新しい始まり」の模倣や「外」の導入としての「名作」や「コンセプト」だけだ。そういう意味では、ビートルズは『ラバー・ソウル』や「ペイパーバック・ライター」とともに終ったと言ってもいいんじゃないのかな。


2003/09/11 (対話-32) 「1965年論序説」

 前回の「対話」の終りのところで次回はまたハンナ・アーレントで行こうかな、とか言っていたが、予定を変えて今回はひさびさに音楽の話から始めさせてさせてもらうよ(時事的な話にもあとで少し触れるつもりだが)。例によってビートルズがらみの話だけど、最近恩蔵茂(おんぞうしげる)という人が『ビートルズ日本盤よ、永遠に』(平凡社)という本を出したんで、それから行くよ。
 いいね。ビートルズについては君に聞きたいことがまだ山ほどあるからね。で、その『ビートルズ日本盤よ、永遠に』という本はどうだった?
 タイトルからも分かるように、この本は1960年代の日本のポップス文化という文脈からもう一度ビートルズの足跡をたどり直そうという意図から書かれているわけだ。だから恩蔵茂とほぼ同時期にビートルズの登場に立ち合った俺としてはある意味ではとても懐かしく読めたよ。
 ある意味では、というのはどういう意味だ?
 つまり、別のところでは納得しがたいところもあったということだよ。この本の著者の恩蔵茂という人は学年で言うと俺よりひとつ上なんだが、つまりビートルズがアメリカに登場したのが1964年のはじめだから、この人がビートルズに出会ったのは中2の終わり頃ということになるわけなんだが、その時期に中2以上でビートルズに出会った人のビートルズに対する対し方には昔からどこか違和感があってね。もちろんこれはビートルズ・ファンの場合の話だよ。つまりこの俺たちより年上の人たちにとってのビートルズというのは、あくまでも「音楽」としてのビートルズに尽きるみたいなんだな。
 誰にとってだってビートルズは「音楽」だろう? しかも1964年のはじめという時期の話なんだから。もちろんビートルズがイギリスで「社会現象」になっているということは知られていただろうが。
 もちろんビートルズは「音楽」さ。しかし俺たち及び俺たちより年下のビートルズ・ファンの場合、例えば『これがビートルズだ』(講談社現代新書)の中山康樹や、『ビートルズ音楽論』(東京書籍)の田村和起夫といった人たちの場合は、ビートルズは「音楽」であると同時に「音楽以上」のものでもあっただろうと思うわけだよ。でなければああいう本を書いたりはしないだろう?
 恩蔵茂だって本を書いたじゃないか。
 そうだね。しかしこの人の場合はビートルズの音楽は「何」であったかという問いが希薄だよ。ビートルズとビートルズの音楽はひとつの決定的に新しい「世界」を拓いたはずなんであって、だから俺たちはその「世界」にほとんど一発でもって行かれたわけじゃないか。たしかにこの本には当時の音楽の周辺情報もいろいろと書かれていて、それはそれでとても楽しいわけなんだが、あくまでもそれは俺たちがもって行かれたあの「世界」が何であったかを探るための材料としてなんだからね。

 話が堂々巡りになってるみたいだよ。と言うのは、君は明らかにされなければならないビートルズの「音楽」における「音楽以上」の何かというものを前提にして話をしているからね。まあ、それについてはまたあとで聞くとして、じゃあ次に当時の周辺情報に行こうか。そういったことでなにか面白いことが書かれているのかな?
 いろいろあるけど、俺としていちばん面白かったのはビートルズが日本に登場して、それがティーン・エイジャーを中心に急速に浸透していった1964〜65年という時期の、日本のポピュラー音楽全般の状況がよく押えられているということだよ。特にイタリアとフランスの新しい感覚の(まさに60年代的な)カンツォーネやシャンソンが広く受け入れられていたことが指摘されている点だよ。
 それについては君も「今月の一枚(3)」に書いていたよね。
 そうだった。しかし俺はこの本を読むことで当時のシチュエーションをはっきりと思い出したよ。というのは、俺の場合は当時のポピュラー音楽の中のひとつとしてビートルズと出会っていたわけでね。つまりビートルズは俺にとってワン・オブ・ゼムだったわけだよ。具体的に言うと、俺にとって当初ビートルズは、キングトン・トリオ、ブラザース・フォー、ボビー・ソロ、ジリオラ・チンクェッティ、ミーナ、ウィルマ・ゴイク、シルヴィ・バルタン、ローリング・ストーンズ、デイブ・クラーク・ファイブ、キンクス、ビーチ・ボーイズ、シュープリームスといった、まったく新しい音楽を聴かせる当時のグループや歌手の中のひとつでしかなかったということだよ。ここに挙げたグループや歌手の順番には意味があって、これは俺の中での当時のランキングみたいなものでね。ビートルズは順位から言うとローリング・ストーンズの上あたりかな。
 ホントかよ。随分下の方だな。
 そうだな。但しこれは1965年のはじめ頃の話だよ。俺はビートルズ・ファンとしてはかなりおくて(晩生)でね。なにしろそれまでは幼年時代の薄暗がりというか薄明の中でまどろんでいてね(ほとんど眠っていたようなもんだよ、俺の場合^-^)。だからこれらの音楽は、そうした薄暗がりの中から「光溢れる世界」へと引っ張り出してくれた音楽でもあるわけだよ。つまり俺の「第二の誕生」はこれらの音楽と共にあった、あるいはそれらの音楽に彩られていた、と言っても過言ではないわけだ。
 それはまた随分とドラマチックな話だね。
 そういうことをはっきりと思い出させてくれたという意味では、恩蔵茂のこの本に感謝したいよ。ともかくそれは1965年のはじめ頃だったわけだが、それから間もなくバーズの「ミスター・タンブリン・マン」やボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が大ヒットしているわけで、それで一躍俺のアイドルはボブ・ディランになってしまったわけだからね。だからよく考えてみると、中2から中3にかけての1965年という時期に俺が本当にビートルズ・ファンだったかどうかというのは、実はかなり怪しいんだよ。
 そうだよね。君が当時ボブ・ディランを神のようにあがめていたのはよく知ってるよ。

 まあそれはおくとして、恩蔵茂のこの本を読んでいるあいだじゅう、ジリオラ・チンクェッティやミーナやボビー・ソロや、彼女(彼)らの歌を日本語でカバーした梓みちよや弘田三枝子や布施明の歌を聴かないではいられなかったよ。
 梓みちよとはまた懐かしい名前だな。彼女は何をカバーしていたんだっけ?
 ジリオラ・チンクェッティの「夢みる想い(ノ・ノ・レタ)」だよ。しかしいま聴くとこの時期の日本人のカバーの方はまったく駄目だね。「夢みる想い」の日本語の歌詞なんかとても聴いていられないよ。この曲は、ようやく幼年期を脱け出した少女の憧れを歌った歌で、シュプリームスが「恋はあせらず」(「今月の一枚(3)」「同(4)」参照)で歌っていた若い女性の想いをもっと幼年期の「夢見る年頃」の方に引き戻したような、まさに1965年的な歌であったわけだ。俺は当時梓みちよの「この胸のこのときめきを」と歌っている部分の歌詞しか知らなかったんだが、むしろ知らなくてよかったね。ほかの部分の歌詞を知っていたら幻滅したろうね。
 弘田三枝子と布施明はどうだ。
 布施明はボビー・ソロの「君に涙とほほえみを」をカバーしているが、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」や「オール・マイ・ラビング」のビートルズ(ポール・マッカートニー)に匹敵するようなボビー・ソロの歌の世界がまったく理解できていない。だいたい当時の新しいカンツォーネに特有の微妙な音程が出せていない。初歩的なところからして話にならないよ。弘田三枝子の「砂に消えた涙」(ミーナ)はまずまずだが、コニー・フランシスやヘレン・シャピロをカバーするのと同じような感覚で歌っているのは、やっぱりいただけないね。
 へえ。当時のカンツォーネをカバーするのはそんなに難しいのか。
 恩蔵茂が当時の日本人によるビートルズ・カバーの駄目さ加減に触れているが、それとまったく同じだよ。つまりビートルズの音楽のそれ以前の音楽との違いには例えば「存在論的差異」(ハイデガー)とでも言いたい次元の違いや隔たりがあったわけだが、それと同じことがジリオラ・チンクェッティやボビー・ソロの歌にも言えるということだよ。何が違うのかと言うと、「精神」や「思想」が違うんだよ。つまり、それ以前の若者のネガティヴで反抗的な心性から生まれたようなロックンロール的感性、そしてそれと表裏一体をなすティンパンアレイ風のパターン化された脳天気な感性といったもの、そういうものとポール・マッカートニーやジリオラ・チンクェッティが体現していたような真に60年代的な新しい「思想」や「精神」は決定的に違うということだよ。
 それは、それから数年後の「68年革命」の世界同時的発生とも関係があるよね?
 もちろんだ。ただ以前から何度も言っているように、「68年革命」には60年代音楽の模倣という面が強い。「68年革命」の世界同時的発生に先立つものこそ、60年代音楽の世界同時的高揚だよ。これは時間的な話というより、その内実とか本質に関わる話だけどね。
 なるほど。さっき君がビートルズにおける「音楽以上」の何かと言っていたのは、その60年代的な新しい「思想」や「精神」に関わることだね。
 その通りだ。

 君の60年代音楽やビートルズについての話はいつもなかなか面白いし説得力もあるんだが、しかしそれはまだ君が言うところの「存在論的な基礎づけ」にはなっていないよね。
 もちろんだよ。それにそもそもそういうことは誰にもできていないよ。俺の考えを言うと、そのための道具立てはハンナ・アーレントの『革命について』と『人間の条件』に揃っていると思うよ。だからいま『人間の条件』を読んでいるわけなんだが、もう少し時間がかりそうだよ。いずれにしても、60年代音楽というのは「はじまり」としての「革命」の起源であるような、「製作」と「活動」のあいだに生起した出来事なんだろうとは思うけどね。
 なるほどね。そういうわけで60年代音楽の理想型(理念型)は、ポール・マッカートニー(ビートルズ)の「アイ・ソー・ハー・スタンデイング・ゼア」やシュプリームスの「恋はあせらず」やジリオラ・チンクェッティの「夢みる想い(ノ・ノ・レタ)」になるわけだね。
 それからPPM(ピーター・ポール&マリー)の「ちっちゃな雀」とか、ビーチ・ボーイズの「サーファー・ガール」とかね。甘ったるい曲ばっかりじゃないかと言うのであれば、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」を入れてもいいよ。要するにそこにあるものは「はじまり」にともなう喜びやおののきの爆発みたいなものでね。60年代音楽の基底にあって、それを鼓舞し起動させているものはそういうものだということだよ。
 あとポイントとしては、それが世界同時的に生起したということがあるよね。
 そうだ。ただ音楽の創造ということについて言えば日本はかなり遅れて、黛ジュン(「天使の誘惑」)や相良直美(「いいじゃないの幸せならば」)になってようやく世界レベルに達したような気がするけどね。もちろんそれを準備したものは64〜65年という時点でビートルズに熱狂したティーン・エイジャーたちの感受性なのであって、受容という点ではもちろん日本も世界同時的だったわけだけどね。以上、今回は俺の「1965年論序説」あるいは「センチメンタル・ジャーニー1965」みたいな話になってしまったね。
 しかし「個人的な話」を踏まえながら、それを超える「1965年論序説」に一応はなってるよ。
 そうならいいけど。ここで恩蔵茂のような俺たちより年上の人たちのビートルズ受容への「違和感」について言っておくと、それは彼らがさっき言った「存在論的差異」の向こう側の、それまでの古い「思想」や「精神」を引きずっているように見えるところから来ているんだろうと思う。まあ、あの時期にビートルズの日本盤LPをすべてリアルタイムで買えるような「財力」への反感なのかもしれないけどね。しかしそうした「財力」があること自体が、「新しさ」への猛烈な欲求に対して盲目たらしめていたような面はあったんじゃないのか? 俺なんか1965年頃はラジオにかじりついて、ひたすらヒット曲を追いかけていたもんね。だいたい俺が映画の「ア・ハード・デイズ・ナイト」を観たのはつい最近だぜ。やっとDVDを手に入れてね。「ヘルプ」の方は1965年に日比谷の映画館で観たが、それだって親父に必死で頼み込んで連れてってもらったんだから。
 なるほどね。とにかく今後の展開を楽しみにしてるよ。

 最後に、野中広務の引退表明についての君の感想を聞いておこうか。
 野中広務の考え方については同意できない部分が多いが、野中はやっぱり男だね。言葉で小泉を批判しきれないのであれば、身を捨てて状況を変える行動に出ることができるのが政治家というものなのだとすれば、見事な態度と言うべきだよ。これを理解することはおろか、嘲笑し揶揄することしかできないマスコミは最低だよ。野中の行動を理解できるのは「宿敵」でもあった小沢一郎ぐらいなのかもしれない(小泉にも理解できるはずだと思いたいけどね)。なんと言っても、故小渕恵三の意を体して「悪魔」小沢一郎に「ひれ伏して」自自連立政権を成立させることで日本経済を破滅の淵から救った功労者は野中広務だからね。とにかく、小渕首相と野中官房長官のコンビは歴史に残る最強のコンビだったよ。彼らの自自連立政権が続いていたら、日本経済はとっくにデフレを克服していただろうね。


2003/09/05 (対話-31)

 おい、首相官邸はこのサイトをチェックしてるんじゃないのか? 君はこの前(8月1日)小泉は憲法改正に踏み込んでくれるかもしれないということを言っていたが、そうしたら小泉はそのすぐあとで山崎拓に「憲法改正のための国民投票法案」のような法案の検討を指示していたじゃないか。それから君は日露平和条約締結についても語っていたが、それについては森内閣時代までロシアとのパイプ役を務めていたと思われる鈴木宗男の保釈が許可されたじゃないか。これらは偶然と言うにはちょっと出来過ぎなんじゃないのか?
 どうかな。まあたまたま(偶々)だと思うけどな。たまたまと言うか、それこそ小泉の政治的嗅覚の鋭さの現われなんじゃないのか。
 もしそうだとしたら、ちょっと鋭すぎるということになるんじゃないのか?
 そうでもないよ。なにしろ小泉というのは総裁選を前にしたこの時期に『タンホイザー』(バイロイト)や『マクベス』(スカラ座来日公演)を観ているような(あるいはトム・クルーズと会って楽しんでいるような)政治家だからね。しかも『マクベス』を観たあとでは、「権力というのはいいもんじゃない」というようなことまで言える人物だからな。ちょっとこれはただ者じゃないよ。
 小泉がただ者でないことは俺だって知ってるさ。しかし、君が語っていることがもし小泉の動向をはからずも(?)予言しているんだとしたら、むしろ君の発言の方が別の「意味」を帯びて来るんじゃないのか?
 君が言おうとしていることは分からないではないが、別の「意味」なんか帯びて来ないよ。ためしに小泉についてここでもっと語ってもいいが、小泉がどういう考えを持っているか、またそれをどういう風に表現しているかを注意して見ていれば、そういうことは誰にでも分かるはずのことで、それが俺の発言の基準になっているかぎり、今後も俺の言うことは「当たる」よ。

 まあそれはおくとして、自民党総裁選について言うと、この前(8月1日)君が言っていたような、「構造改革」を更に進めるのか(それによって「雇用」と経済・社会の破壊・崩壊への道を選ぶのか)、それとも政策転換によって景気を回復させるのか(そしてすみやかにデフレを克服して10年以上に及ぶ長期停滞に終止符を打つのか)、といった具合に争点が明確になって来ているんじゃないのか?
 政治家たちはいまの政治の争点が経済政策にあるということは知っているさ。しかし残念ながら、彼らは経済政策(もちろんマクロ政策のこと)というものをほとんど理解していないらしい。もし理解していたら、亀井静香みたいに「小泉内閣の逆をやればいい」、具体的には「緊縮財政を直ちにやめて積極財政へ転換する」というような発言は出て来ないだろう。
 そうだよね。財政政策が以前のケインズ的な「乗数効果」(「時事・言論レビュー(1)」)をもたらさなくなって来ているのではないか、という疑問はいまやすべてのマクロ経済学者の疑問でもあるわけだからね。
 そうだ。だからケインズ派のポール・クルーグマンにしても、「流動性の罠」に落ちた日本経済に向けた政策提言では、財政政策ではなく金融政策に重点が置かれているわけだよ。それも「流動性の罠」に落ちたら次は財政政策の出番だというような旧来の「常識」を超えて、金融政策の枠を広げてこれに財政政策を組み込んで行くというような、「非正統的」「非伝統的」な金融政策を提案しているわけだよ(その究極にあるのがいわゆる「ヘリコプター・マネー」だ)。
 ノーベル賞経済学者のジョセフ・スティグリッツもそうだよね。
 まともな経済学者はだいたいそうさ(この点についての小野善康の考えはよく分からないが)。もちろん竹中平蔵みたいな新古典派は別だ(なにしろ「市場の効率性」というものを神のようにあがめたてまつる新古典派にはマクロ政策という概念が存在しないのだから)。だから「緊縮財政か積極財政か」というようなところに経済政策の争点があるかのような言い方は間違っている(そうではなく、何度も言うように「非正統的」「非伝統的」な金融政策の発動によってデフレを終らせるのか、それとも「構造改革」という「新自由主義」=「サッチャリズム」的政策の推進によって日本の経済・社会を崩壊に導くのか、というところに本当の争点があるということだ。菅と小沢の民主党に対しても、これは他人事ではないんだよ、と言いたい。「政治資金収支報告書のインターネット公開」などということを言っている場合じゃないんだよ、と)。だいたい株価が少し上昇したと思ったら債権価格が下落(=金利は上昇)するという状況において、「非正統的」「非伝統的」な金融政策とは別のところで「積極財政」(=国債増発)などを採用したら、金利が急上昇(=債権価格は急下落)して株価下落のひきがねになるだろうことは目に見えているじゃないか。

 少し話は変わるが、『日経』が昨日(9月4日)「「悪い長期金利上昇」に警戒を怠るな」という標題の社説を掲載していたが、いまの長期金利の上昇は、株価が上昇しはじめた局面に付随する現象なんだってことはみんな知ってることじゃないのか?
 どうかな。もちろん最近の株価の上昇が、外国人投資家による日本株買い⇒株価上昇⇒日本人投資家による国債売り⇒(国債売りで資金を調達した)日本人投資家による日本株買い⇒一層の株価上昇、という具合に進んでいるということは「常識」なのかもしれない。しかし、『日経』がその社説で「政府・日銀には、経済の動向とかけ離れた「悪い長期金利上昇」への警戒を怠らないよう求めたい」ということを書いているということは、本当のところはなにも「理解」されていないということなのかな。「いまは国債より株だ」という「市場の声」が長期金利の上昇(=国債価格の下落)を招いているということが「常識」なのだとしたら、「経済の動向とかけ離れた「悪い長期金利上昇」」というような、事実と「かけ離れた」ことを『日経』が書くはずはないからね。つまり『日経』が書いているのとは逆に、長期金利の上昇こそがいまの「経済の動向」に即した現象なんだから。
 そうだよね。つまり俺が言いたいのは、いやしくも『日本経済新聞』を名乗る新聞にしてそういう状態なんだから、政治家たちに「経済を語る」ことを求めたって無理というものじゃないのか、ということだよ。
 無理じゃないさ。たしかに現状はかなりオソマツなものだとしても、その程度のことは少し勉強をすればすぐに分かることさ。難しいのは言葉の使い方だよ。藤井孝男が「私も構造改革には反対ではない」と言っているのがテレビで放映されていたが、あれは最悪だね。「小泉内閣流の構造改革に反対します」という意味のことを粘り強く言っていないから、ああいった発言がトリミングされてしまうということだろう?
 つまり、藤井孝男としては「デフレを放置している小泉内閣は国民生活を破壊しています。小泉内閣流の構造改革は日本国民が築き上げてきた信頼の崩壊をもたらしています。私が総裁になったら、政府・日銀一体となってすみやかにデフレからの脱却を目指します。具対的には年2〜3%のマイルドなインフレと名目のGDP成長の達成に向けた政府の断固としたコミットメントの発動です。時間はかけません。政策総動員による短期決戦です。日銀にも協力してもらいます。まずデフレを克服すること、それによって「失われた10年」を終らせることこそが国民の皆様の不安を取り除き、信頼を回復する決定的な一歩になります。デフレが克服されれば、おのずと名目の税収も増えて財政再建の目途もたちますし、皆様の信頼を損ねないような年金制度改革を実現することもできます。こうしたことは、マクロ政策を知らない竹中平蔵さん流のエセ経済学に引きずられた小泉内閣には決してできません。」という意味のことを言い続けていればいい、ということだろ?

 その通りだ。いまいちばん崩壊の危機にあるのは言葉(日本語)の使い方なんじゃないのか、と言いたくなるほどだよ。ただひとつ言っておきたいのは、言葉が成立する文脈自体が不況の深化とグローバリゼーションの進展のなかで激変して来た可能性があるということだ。だからいまではどんな言葉も10年前とは違う意味を持つかもしれないということだ。亀井静香や藤井孝男はそのあたりの事情に無自覚であるということなのかもしれない(ブッシュ政権の経済閣僚たちにしても似たようなものなのかもしれないが)。もちろんこれは俺の「仮説」でしかない。だから単に「不況言語」を知らないというだけのことなのかもしれない。
 俺としては不況のなかで不況を語る(あるいは不況と戦う)言葉を持つ努力をしていないだけだと思うけどね。しかしその程度のことを「努力」とは言いたくないよ。人間が状況に応じて言葉を持つ(創る)能力を失ったら人間じゃなくなるということだからね。これは東浩紀の言う「動物化するポストモダン」のひとつの現われなのかな? またまた話は飛ぶが、最近村上龍が主催しているメール・マガジン『JMM』で、「わたしたちは財政健全化には消費税の引き上げが不可欠だと主張する政治家を、たとえば誠実味があるとして評価すべきなのでしょうか。それとも、たとえば庶民の敵と見なして批判すべきなのでしょうか」という村上龍の質問に対して、「金融経済の専門家たち」とされる常連のライターたちが回答を寄せているよね。君はこれを見てどう思った?
 それについては友田健太郎という人が「読者投稿」を寄せていて、それが少しあとに送られて来たが、俺は友田健太郎が書いていたことに賛成だね。この人は村上龍の「悪意」を湛えた質問に隠された「意味」を見事に解き明かしているよ。しかしそのほかの常連の「金融経済の専門家たち」の脳天気な回答はすべて間違っていると言いたいよ。俺はサプライサイダーのアーサー・ラッファーの税率につての考え方(「ブック・レビュー(6)」参照)は間違っていると思うが、この「金融経済の専門家たち」と来たら、(それ自体は検討に値する)アーサー・ラッファー的問題意識さえ見られないからな。つまり、消費税率を引き上げることで総税収が減る可能性について誰ひとり言及していないということだよ。これは最低だね。

 言い換えれば、消費税率を例えば現行の5%から3%に引き下げた方が、中・長期的には税収増をもたらす可能性が高いかもしれないということだろ? そういう場面で「乗数効果」が強力に作用するかもしれない可能性について考えてみようともしないような「金融経済の専門家たち」などは死んだ方がいい、ということだろ? もっと言えば、ガキの討論会じゃあるまいし「まず歳出項目の見直しを国民に見える形で提示せよ」というような没経済学的な無駄話は掲載するな、ということだろ? そしてそうした正義の仮面をかぶった「世論」の横行を許したことこそが「失われた10年」をもたらした最大の要因であったことを思い知れ、ということだろ?
 まあそういうことだ。財務省官僚や財界人たちは消費税率の引き上げにこだわっているようだが、これについては「私の首相在任中は消費税は引き上げない」と言っている小泉を俺は支持するよ。こういう場合の小泉の勘は「当たる」よ。つまり、デフレが続いている中での消費税率の引き上げは確実にデフレを激化させ、そのことが財政を破綻させるだろうということだ。デフレは債務を一層重くするし(インフレの場合は軽くする)、しかも総税収を減少させるに違いないからね。だいたい財務官僚にとってそれは財政再建に努力したというエクスキューズ以上のものではないし(小泉は財務省の申請に激怒しただろう)、財界人たちにとっては所得税率や法人税率の引き上げよりも消費税率の引き上げの方が千倍も万倍も歓迎できるわけだからね。
 話を戻すと、『JMM』は友田健太郎の「読者投稿」に救われたということだね。
 そうだ。しかも友田健太郎という人の「政治」理解にはどこかハンナ・アーレントを思わせるものがあるよ。というわけで、次回はまたハンナ・アーレントで行くことにしようかな。あるいはそろそろ「ブック・レビュー」で『人間の条件』を取り上げることにしようかな。多分近日中に『人間の条件』を読み終えることができると思うよ。それもマーガレット・カノヴァンの『ハンナ・アレントの政治思想』(未来社)のおかげでね。ハンナ・アーレントについてよく分からなかったところが、ようやく理解できたよ。
 それはよかったね。

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